DIE HARD エピローグ - 一篇の映画のような話
ほんとうにそこは、静かな場所
なにもない
喜びも歓喜も至福もない
もちろん、悲しみも怒りもない
孤独がない
ただただ、静かで
究極のフラット
無
空
そんな世界を何度か突然に体感し
今は、調子がよければスイッチのオンオフでその位置へ行ける
その位置で、舞っている
シリーズで書いてきたDIE HARDなお話。
それは、出だしのような話をしていくために必要な、土台となるものでした。
そこをまず公開しないと、話が始まらないと感じて、お送りしました。
わたしの前半生で起こったこれらのこと、すっきりくっきりとなったのは何年か前の話ですが、これらを書いたことは、わたしにとって「自分はこれらを他人の物語のように書けるように、既になっている」という確認作業となりました。
もうすでに切り離されているのです。
まるで、一篇の映画を観ているよう。
まるで、他人の話のよう。
まるで、前前前世のことを聞かされたよう。
それくらいの距離がある物語となりました。
世の中にはもっともっとしんどい人、複雑な環境の人、親に捨てられたり、祖国を失ったり、生まれた時から戦闘員として育てられたり、夫に顔を焼かれたり、枚挙にいとまがないほど、たくさんの色んな状況の人がいます。
だからこそ、比べたって仕方ありません。
それでも、わたしは、書き終えた後に
「あれ?こんなもん?もう終わったやん!なんや、たいしたことなかったな・・・」
と感じました。
いろいろ問題のある母ですが、まがりなりにも女一人で大学まで進学させてくれ、あたたかい布団で寝れる家もあり、自分の手で作った美味しい料理をいつも食べさせてくれ(母は調理師であり料理人です)、もうそれで充分です。
もちろん、大人と大人、他人としての相性や、晴れたり曇ったりの毎日、いろんなことがあって、その都度折り合いをつけていくわけですが、それはそれ、肉体をもって生きていくなら普通に起こる日々のアレコレ。
適して当たって・・・まぁ適当に、悠々と、暮らしていくまでです。
いろんな事を書いているうち、いろんな人(心の友、既知の人、はじめましてな方々)から連絡があり、いろんな話も聞けたりして、ありがたいなぁ、書いてみてよかったなぁ、と思っています。
で。
そんな風に、一篇の映画のように自分の過去を観れるようになるまで。
ただひたすらに、自分と向き合いました。
いろんな人の手も借りました。
食べ物のチカラ、場所のチカラ、神さまのチカラ、たくさんたくさん助けてもらいました。
時間だって、過去から未来へ一方向に積み重なるように流れているのでなく。
どっちかというと未来から過去へ。
そして、同時に、重なり合って、今ここにだけ、ある。
収縮も拡大もする。
なので最近は時間間隔が無茶苦茶で、まだ今まで使っていた時間の感覚が残っているので、なんだか整合性がとれず、約束をすっぽかしそうになることしばしば。
なんて。
そんな話を、ぽつぽつとしていきたいなと考えています。
少し前まで、舞う(魂心身を整える)ことしか興味がなかったのですが、いまとなっては書くこともそれらに通じておもしろくなってきました。書くことがとても楽しみなのです。
「空舞」はただの現れ
その先に、先に先に、そして、既にこの裡に、成したいことがある
そのための、たまたま起こった、一番適度で物理的な現れが、空舞
なので「書くこと」もまた、現れのひとつです
ほなまた!
--- DIE HARDシリーズです♪