踊る瞑想 1 - 青い鳥の話
チルチルミチルの青い鳥
探し求めた、しあわせの青い鳥は、結局、家の中にいたのでした、な話
でもきっと
扉を開けて飛び出して、探したから、冒険に出たから、外の世界をたくさん観たから
家の中にしあわせの青い鳥がいたことに気づけた
そんなことを感じる物語
さてさて。
そんな風に外の世界、自分を取り巻く環境、人々、日々起こる事がら、たくさんたくさん体験して、刺激を受けたり、ぶつかったり、喜びあったり。
それで。
そこから「わたし」というものが、何に気づくのでしょう、何を感じるのでしょう。
それを、一人静かに見つめる時間。
いわゆる「瞑想」と呼ばれるもの、体験、そのひと時。
すべてはそこから始まります。
時間もまたそこから始まります。
過去から未来へ一方通行で流れていく中に、自分が現われ消えていくのではありません。
自分のコア「核」を見つめたその瞬間、「わたし」が始まります。
過去も未来もそこから始まり、現れ、変化し、どんどんと新しく生まれてゆく。
「瞑想」「メディテーション」
わたしの場合のその始まりは10年前、野口整体を源流に持つ整体操法を受けているときに起こりました。
あまりにもカラダが軽く軽く、まるで体重がないように感じたあと、透明になったように感じました。カラダの中を風が抜けてゆき、周囲のものと薄皮一枚分くらいの隔たりしか感じないのです。
続けていくうちに、その操法を受けていなくても、その状態(感覚)になれるようになりました。
部屋の明かりを落とし、静かに正座、あるいは胡坐をかいて目を閉じる。
その感覚を思い出す。
そうするとまず、夢を見ているようなビジョンが脳に浮かびます。
でも、少しでも「これはなんだろう?」と考えだすとビジョンが美しく流れなくなる。
そのうち、カラダが勝手に揺れ出したり、傾いたり、突っ伏したり。
とにかく、カラダが動くままに、なにも考えないように、身を任せる。
ただ、観てる、ただ、動くままにしておく。
ただただ、心地よくて。
その時間が楽しみで、なにはなくとも、家に帰ってその時間を持てることが楽しみで。
それはどんどんと深くなっていき、今は、その状態において踊る、という活動をしています。
空舞は、踊るメディテーションとも言えます。
最近はトレーニング中でも、働いている時でも、その状態になることがあります。
目を開けているとビジョンは見えにくいのですが、カラダは勝手に歩き、働き、あるいは電車に乗ったり切符を買ったりしています、脳の「電車に乗ろう」や「切符を買おう」という思考なしに。
ただ、それを観ている。
それをしているのは誰でしょう?
それを観ているのは誰でしょう?
「わたし」は果たして、ここに「いる」のでしょうか?
まず一秒。
「考える」「思考する」をストップしてみてください。
働き過ぎて「わたし」自身のように振る舞う脳にバケーションを与えるのです。
え?脳が「わたし」じゃないの?
違う、ということを体験します、瞑想を続けると。
いきなり10分、ましてや禅僧のようにお線香が消えるまで、なんて思わずに。
一秒だけやってみる。
コツは、カラダの感覚に集中すること。
例えば。
一つは、呼吸。
「一秒だけ、全力で吸う!」
やってみてください。
一つは、重力。
地面と接着している部分、胡坐をかいているなら尾てい骨当たり、正座なら脛でしょうか。
その部分に自分の体重分の力がかかっていることを
「一秒だけ、全力で感じて!」みる。
一つは、鼓動。
カラダのあらゆる部分は、その主がどうであれ、懸命にただただその役割を全うし動き続けています。
たまには、そのことを注視してみてください。
一番わかりやすいのは心臓。その鼓動を
「一秒だけ、全力でしっかり聴く!感じる!」
どうでしょう?
そこに、思考が付け入る隙はない筈です。
もしかしたら最初からいきなり3秒できるかもしれません。
意味もわからないかもしれません。
なぜこんなことをするのか?
なぜでしょう?
わたしは、青い鳥を見つけたかったからです。
そして、これで青い鳥を見つけたからです。
そして、これからもずっと、青い鳥を見ていたいからです。
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