Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

脱落せしむるなり - 禅の話

仏道をならふというふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。
萬法に証せらるるといふは、
自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

道元正法眼蔵」「現成公案」-

はい、こんにちは。
Eri koo - エリ・クゥ です。

ここのところ、湧き上がることを現実面に落としていく作業にかかりきりで、すっかり生臭くなっているなぁと思っていたら、やっぱりバランスをとるべく、ここ数日は精神的な方面の引きが強まってきました。
生臭いっていうのは生臭坊主という意味です。
というのは、どこかで自分を修行僧のように思っていて、お気楽ラテン気質も含んだままに、私の本道は道の探求者であること、そして知ったことを伝えていく事だと感じているのです。
絵を描くのも、文章を書くのも、そしてパフォーマンスも。全部自分にすらわからない何かを伝えています。言葉になることはこうやってブログや小説で、言葉にならないことは絵やパフォーマンスで。
本当はその表現ばっかりを24時間ぶっ続けでやりたいものですが、肉体を持って現実世界にいるので、食器を洗ったり税金を納めたりもしなければなりません。身体も鍛えたいし、たまには贅沢な美味しいものを食べたり飲んだり、きらびやかな場所に行ったりするのも人生の醍醐味でありまして。
結果、生臭坊主化でございます。

たまたま禅に関する言葉を見ました。
禅は実践だと。参加することだと。頭の中でこね繰り返して発酵させる空論ではないのだと。ただ自然へと自分が飛び込んでいくのだと。
ふむふむ、そうだったなぁ。
なんて思って寝て、その次の朝に目にしたのは福井県永平寺の修行風景。
禅寺と言えば永平寺
そして、繰り返されたのが冒頭の道元さんのお言葉です。

なるほど、ここらで一発、禅について改めて思い出した方いいタイミングじゃない?書きながらまとめてみたら?って感じがビシバシ。
茶道を20年やってたこともあり、禅についてはまぁまぁお勉強しました。茶道って禅の考え方に基づいてるんですよ。ものすごく深い関係なんです。

さて道元さんの言葉。
仏道とは何も仏教のことだけではありません。何教でもいいですし、宗教でなくても何でもいい。大宇宙の法則、仏、悟り、愛そのもの、そして慈悲の生き方を探求する道という意味に私は捉えています。
そういうものは自己を探求することだと言ってるんですね。
そして自己を探求するとは自己を忘れることだと言ってる。
そして自己を忘れることは、萬法だと。
萬法とは仏の法、つまりは自然とか宇宙とか愛とか全部であること。自分を忘れたその瞬間に、その大自然と一体となるということ。
大自然と一体となるというのは、自分の心と身体、そして他者という存在も、全てから解き放たれて自由で悠々さっぱりと執着が一切ない状態。

それが、悟りとか解脱とか萬法といわれるものになる方法だということです。

わたしは一時、こういう悟りとか自然との一体化に夢中になっていました。いわゆるスピリチュアルだったり宗教だったり、探求というものの究極的な一点がそこだからというのと、そこに至れば、不安も悲しみも怒りも全部なくなり、清々しく出会う人みんなに優しく笑顔で接することができて、毎日ハッピーでいられるのだと思って。

そしてある程度、本読んで人の話聞いて瞑想して旅に出て探求して、自分の体感として一区切りついた時。
さて、じゃあどう生きるか?
ってことなんですよね。氷河期が近づき天災続き、戦争も資本主義もお金もドラッグも税金も色んな物や人があふれかえるこの世界で。
そうなった時、やっぱり「楽しんで生きる!」しかないじゃないですか。
ね。
それは享楽的に生きるという意味ので「楽しむ」じゃないんですよね。
もっともっと深くて強くて本気の「楽しむ」です。
それって、本当に本当に頭も心も通り越して、もう勝手に動き出しちゃうくらい本物の「自分がしたいこと」をする。そして、それを通して人の役に立って、その「他者の笑顔を見ること」だと思うんです。
自分がしたことで他人が笑顔になった時、そこに自他がないと感じるんですよね。
自分の思いが通じて受け取ってもらった時。
相手と自分との間に隔たりはない。
例え一瞬の交流であったとしても、その瞬間って永遠です。

「自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。」

ってそれに近いのかなって思います。
その瞬間って、承認欲求が満たされたとか、人より上手いこといったとか得したとか儲かったとか、そういうのじゃないんですよね。
その一瞬、ただただ「あぁ・・・よかったなぁ・・・」って感覚でいっぱいになるというか。

それ以上のしあわせってないですよね。
それってなにも表現だったりお仕事だったりってだけじゃなく、道端で前の人が落として物を拾ってあげて喜んでくれたり、子どもと一緒に遊んで笑いあったり、そういうこともまた同じ。

道元さんの言葉に触れて。
人生で何度も出家したいって本気で思いましたが、やっぱりわたしは里の行(山奥の僧院で修行するのではなく、街の中で普通の人たちと共に暮らして修行する事)をすべく、この世に生まれたようで。
肉を食べ酒を飲み(最近ほとんど摂取しませんが)グレーゾーンの享楽をたまには楽しみつつ、瞑想しながら自分の表現と道を探求する、その両極を揺れ動きながら中庸であるように、邁進して精進していきたいなぁと改めて褌をしめなおすべく、文章にしてみました。

だから生臭坊主でいいんです。
理想とするお坊さんは一休宗純ですからね!

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月涛賀ゆう絵画奉納式・天地流水の儀 at 等彌神社

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