Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

死を選ぶ - 映画パドマーワトに寄せて

久々にお知らせ以外のBlogなのに仰々しいタイトル。
たぶん死生観(=生き方)の話になると思いますが勝手に筆が進むので着地点はわかりません。
映画【パドマーワト】のラストシーンについて言及しますのでネタバレます。未見で観る予定のある方はご注意を。

こんにちは。
eri koo - エリ・クゥ です。

そんなわけで観ました、インド映画パドマーワト。

padmaavat.jp
いきなり脱線しますが、ただただ会話するだけのシーンと、特定の群像による戦闘シーンで深い眠りに入ってしまう体質なのですが、これは多分音の周波数だと思うのですよねーーーーーほんまか?
で、この映画もそういう場面でだいぶ寝てしまいました。
これは映画の良し悪しではなくただただわたしの体質なのです。
なのに、観た直後より数日たった今になってなんだかじわじわ来てるのです。
ラストシーンの荘厳な美しさが頭にこびりついてずっとリピートし続けるのです。
あのシーンのためだけにもう一度観に行っても良いくらいに。

簡単に説明すると、A国とB国が戦争するんですがA国の王妃は絶世の美女パドマーワトでB国の王様の狙いも彼女。けれどB国に負けてしまうんですね。戦争に負けた国の女たちの身の上はお決まりのレイプと従属・隷属そして死。そこで当時のヒンドゥーにはジョウハルという尊厳殉死、寡婦が夫の亡骸と共に焼身自殺するという習慣があったそうなんですが、この映画のラストでそれをパドマーワトとA国の女性達がそれはそれは荘厳に決行するのです。

※この映画は寡婦殉死について賛否両論となり色んな物議を呼びましたので、この簡単な説明が正解&全てとは思わないでくださいね。そしてこの記事はその是非を問うものではありません。

観た直後は、夫が亡くなって自分も死ぬ…かぁ…インドの女性蔑視的な流れなのかなぁ…?ってあんまりピンと来なかったのです。
でも今もなぜかずっと頭の中にジョウハルのシーンがずっとあるのです。

あれ?あの話は愛のために生きたとか、貞節を守ったとかそういうことではないのではないか…?
自分の死にざまを、自分の生の全てを自分で決めた、壮絶で強烈な自立した強い女の一番美しい儀式を映像化したのではないか?
そしてそのシーンのためだけに、長い長い(約3時間あります)男たちのあーやこーやのすったもんだ物語があったのではないのか?と思い始めてきました。
それならば。
めちゃくちゃ美しくカッコいい女の映画じゃん…めちゃくちゃ好みじゃん!と。

近頃方々で
「自分の死にたい時に死にたい」
「誰にも迷惑はかけたくない」
「好きな事やるだけやって本当に生きていくのに詰んでしまったら自己責任で自分を尊厳死させて欲しい」
なんて話を聞いたりします。なぜか同時多発的に。

わたし自身は「自死」ってあんまり魂的にプラスじゃない感じがするのと、多分めちゃくちゃ長生きするだろう母より先に死んではいけないという大きなカルマ的義務が一つあるので多分選ばないと思うのですが、ただ自分の決意よりも遠く離れて、まるで寿命かのようにふわりとそちらに流れるように向かう自死というものもあるとは思っています。
そしてこの記事にも書いたように小さい頃に自殺にトライしたこともあるし、良いも悪いも何も思ってません。

erikoo.hatenadiary.jp

けど先に書いたように
「詰んだら死ぬだけ」
って思うことによって生きることがちょっと楽になる人もいるよなぁとは思います。
なんだか気を抜くと不安を煽られる世の中じゃないですか?
年金だ破たんだなんだ老後どうするんだ?この貯金でどうやって?みたいな。
そんな時に「いざとなったら死ぬだけよ♪」なんて思うと、あ!そっか!そんだけか!みたいな。

でも死ぬことがすんごく怖い人にとってはそうでないのかもしれませんね。
死ぬことって怖いですか?
わたしは身体に激痛や苦しみを伴うことは普通に怖いですが、死そのものが小さい頃から今に至るまで全然怖いと思ったことがなく、何度想像しても「やっと終われた!」という清々しい気持ちにしかなれないのです。
そして肉体を離れた後、この世の謎が全てわかる気がしてそれが楽しみでなりません。
わからないかもしれませんけどね。
でもわかる気がする、そのものがわたしの死生観で宗教とも言えるのかもしれません。それがあるから死が怖くない、という意味でもまさに宗教ですね。
誰も勧誘しないし誘わないし理解してほしいとも思わない、自分だけの宗教、理。

そして最後に息を引き取るビジョンも昔々から変わりません。それがホントかどうかも確認するのが楽しみです。

孤独死についてかわいそうがる話も聞くのですがその度に何だか不思議で。
そんなにみんなに囲まれて、人に看取られて死にたいものなのですかねぇ?
世の中には像や猫のように、誰にも死ぬところを見られずに一人ひっそり死にたい人だっていると思うんですよね。
ちなみにわたしの死に際ビジョンは中々壮大な孤独死です。ロケーションがものすごいので果たして予定の寿命を迎えたその年でその場所に居れてるのか??という謎なのですが、どうなんですかね。
確かに孤独がつらくてつらくて誰かに看取られたかった人が孤独に死んでいくのは、なかなかに心さみしいものかもしれませんが、それはそれで最後の学びがあるのではないかなぁと思います。

自分の死についてだけ書いてきましたが、他人の死はまたちょっと違います。
「死」が不幸だと思わないのは同じです。
死は身体から魂が離れる通過点だと思うので、誰かが無くなっても不幸だとは思いません。
けどそれと、もう会えなくなってしまうさみしさと悲しさは全然別もの。
愛する人たちは永遠に生きていてほしい、ずっと会い続けたいと願ってしまいます。
そんな気持ち自体が本当に祝福だなぁと最近思います。
生きて会って、そのしあわせを切に願う。
そんな存在が居るという、そして居たという、しあわせ。
そのしあわせは死が二人を分かつとも永遠だと思うのです。

最初の話に戻ります。
パドマーワト。
この人がいなくなったら何のために生きているのか息をしているのかわからない、そんな存在がこの世から失われてしまったら。
そしてその後自分の身に起こることが抗うことが絶対に出来ない地獄だとしたら。
彼女のように気高く、最後まで自分で在ることを貫いて(=愛を貫くこと)その道を選ぶこともとても美しいのかもしれません。
確かにあの映画は、それがものすごく美しいことだと思わせてしまうことが問題なのかもしれませんが、それでも本当にただただ美しくて。
そして「死」にまつわる色んな事を考え思い浮かべさせられる作品でした。

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大昔 ボリウッドを踊った時の写真♪

読んでいただきありがとうございます。
残りの今日も、そして明日も、あなたに祝福アレ♪

 

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