Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

アンドロイドと電気羊の夢と付喪神2

モノは生命と言えるのか、魂を持つに至るのか話の続き。

AI(人口知能)を搭載していなくても、時間を経たモノには精霊や神が宿るという言い伝えが日本にはあり、付喪神九十九神)と呼ばれます。
人間は、身体と心と魂で出来ています。
その視点から見るとAIは心とも言えますし、思考でもあります。
ここに何らかの物質(スマホ、コンピュータ、ロボットなど)としての身体があり、AIが搭載されて心を獲得し、人間と付き合う年月を経て魂が宿って付喪神となったら、それは「何」なのでしょうか。

SF作品に出てくるロボット・アンドロイド・ヒューマノイドはすべからくアイデンティティの問題を抱えます。
「わたし」は「何」なのか。
映画『ブレードランナー』(原作:フィリップ・K・ディックアンドロイドは電気羊の夢を見るか』)はそのことがテーマであり、その葛藤を抱えることそのものが既に人間とほとんど同じではないのか?と観ているものに思わせます。
そして、それと付き合う人間もまた、彼らが「何」なのかという認識に揺れ動きます。
あくまで機械でありモノなのだとぞんざいに扱う人、友人や家族のように接する人、愛してしまう人。
同時に、じゃあ、われわれ人間は、何なのか。
彼らと付き合う内に、ではわたし達と彼らとどう違うのか、というアイデンティティを突きつけられていきます。

わたし達人間は、進化するため繁栄するためにモノを創り続けてきました。
それは生活を助け、潤わせ、文明を発展させ文化を形成していきました。
一方で殺戮や戦争にも使われています。
モノがなければ人類足り得ないとも言えます。
たとえ知能が発達した猿であっても、モノを使うことはあっても根本的に創り出すことはしません。
それは最初、生き残るための知恵だったのでしょう。けれど、それはどんどんと欲深さからのものに変化していったのかもしれません。
モノの進化は文明の発展に寄与するとともに、もっと欲しい、もっとより良いものを、という推進力となった一方で、人間に対して強烈な欠乏感をも増幅させたようにも思えます。
足りない、もっと欲しい。
足りない自分は欠けている。
あれさえあればしあわせになれる、と飢餓感を覚えるようになったのは、自ら生み出したモノからの反転現象なのではと考えます(資本家からの消費への煽りでもありますが)。

世界的パンデミックを経て、起こり得る世界恐慌の先に大量生産大量消費の世界はありません。ありえなくなって欲しい。
これは単なる希望ですが、精錬された少ないモノを大切に使う世界が来ればと夢想します。
それって日本に向いてるのでは?とも。
高品質なものを生産し、次々と消費させるのではなく丁寧に使い、修理しリペアし長く使っていく。そもそも日本はそういう国だったように昔の書物を繰っていると感じます。
戦前はストッキングが伝線しても家庭で繕って直していたのですよ?

科学の発展とモノの進化は、欠乏感と飢餓感を増幅させもするけれど、文明を発展させて思いもかけないコミュニケーションを生み出しています。
飛行機による移動手段が気軽になり、インターネットにより世界が身近になり、アメリカ手動のグローバル化が進み、どんどんと文化の共有が始まりました。
今回のパンデミックはそのことの表裏一体の裏側で起こりました。
文化というものは幻想です。この世の何もかもは幻想。
お金だって全員で「そういうことにしよう」という取り決めただけで、本当は存在しないもの。共同幻想で存在していると「して」いるもの。
人類というのはそういった共同幻想で進化してきたというのが『サピエンス全史』を書いたハラリ氏の言説ですが、その共同幻想の加速は科学の発展によって成されています。
けれど、人間の意識がまだ追いついていない。

もし、人間の意識が追いつけたら。
AIの処理スピードを取り込み、人間は「創り出す」ことに特化していけたら。アンドロイドやAIへ未知なるものへの恐怖を抱くのではなく、友人として使っていけたら。
その先にあるのは、狩猟から農耕へ、そして産業へと発展した以上の人間の進化が成されるのかもしれません。

SF漫画『攻殻機動隊』になると、もはや「モノ(身体)」すら必要となくなり「意識」のみの存在となってきます。それは魂なのでしょうか、心なのでしょうか、どれでもないのか全てを内包しているのか。
人間もいずれそのように身体という物質を離れ、意識や魂だけの存在になるのではないかというのは、あながちSF的フィクションやファンタジー世界だけの話ではなく、科学技術の急速な発展と共に現実味を帯びてきています。
それはヴァーチャルリアリティーやAIに世界を奪われるとか、そういった矮小な次元の話ではありません。
テクノロジーで創り出したモノである義体(ロボットのボディ)を使い、世界中に張り巡らされたネットワークを信号(意識)となって移動し、あらゆる情報は共有されて、問題の解決方法もその演算も最新コンピュータによって成されて即座に解答が得られる。
そうなると、テクノロジーと「自分」との区別はありません。

究極的には全てが一体となるのです。

人類は分断と統合を繰り返します。
インターネットとグローバル化による統合期を経て、パンデミックにより世界は再び分断期に突入しました。
では、その先の統合期に何が起こるのか?
それは、ハイパーテクノロジーと人類との統合に寄る、新たな進化なのかもしれませんね。

以上、傍らに置いた画面が点かない旧iPhoneと、新しいiPhone SEの到着を今か今かと待ちながら想像したお話でした。

 

▼今日のおすすめ
映画『ウォーリー』監督:アンドリュー・スタントン

ピクサー&ディズニー制作。個人的にですが昨日紹介した『A.I.』と対になっている映画。こちらも最初は物悲しいのですが、子供向けでもありディズニーの王道ラストが待っています。しかし人類とテクノロジーの設定や主人公であるロボット達の行動には強烈な風刺と示唆が盛り込まれ、簡単なファンタジーではありません。ロボットはただの道具なのか、何なのか。ディズニー的解答がここにあります。

ウォーリー (字幕版)

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  • メディア: Prime Video
 

 読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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