自分が無くなる話
昔、不思議な体験をしました。
「空舞(くぅまい)ってなんなんですか?」
友人が問いました。
「空舞っていうのは、自分の身体が筒みたいになって、そこをエネルギーみたいなものが通り抜けていく。その様子を見せたいだけ。」
と、わたしは答えようとしました。
けれど「筒みたいに…」と言いかけた時。
わたしの頭のてっぺんがボンッ!と音を立てて開きました。
同じように足先も開いて、身体の中心から濁流のようなものが上へ、下へと流れ出していきます。
驚いていると、バァーーーン!!と心臓が弾け飛びました。
胸に穴が空いて、まるでダムが決壊したかのような強く大きな流れが放出されていきます。
目の前には銀河の彼方が広がっていました。
どぅどぅと水流のように身体から何かが出ていってしまう感覚。
滝壺に落ちて水の流れに巻き込まれたような、海の荒波にもまれたような。そんな感覚が自分の身体の内側に起こっている。
やばい。
このままだと「わたし」が全部流れ出る。
「わたし」が無くなる。
恐怖ではなく「これはまずい」という気持ちがわきました。
そこでぐっと身体に力をこめて踏ん張りました。
そうすると、背中の薄皮一枚分くらいの「わたし」がそこに残りました。
宇宙空間のような、真っ黒な中に遠く星がきらめいているような場所と。
背中の皮膚だけ残ったわたし。
目が覚めました。
夢でした。
(夢オチ………)
けれど、夢から覚めても心臓が痛くて痛くて、心臓発作か心筋梗塞かと思いました。
一方で、これは時間が経てば大丈夫なやつだ、とも感じていました。
脳天がバカッと開いたのも、足元がまるで落下した時のように心もとなくなったのも。
濁流のような水の感覚も。
痛みも。
全部全部本当にあったかのような体感が残っていて、全身が小刻みにふるえていました。
この話を何人かに話しました。
その中でお坊さんが言いました。
「そういう感覚を、厳しい修行の末に体験することがある。食事制限をし、肉体を痛めつけ、睡眠もほとんど取らない状態でね。」
なるほどと思いました。
この夢を見た時、毎日数時間しか寝てない日が続いていました。朝も晩もないような生活を送っていました。
修行にしても、わたしの生活にしても、危機的状況に脳内物質が出て幻覚を見せたのかもしれません。
けれど、それはわたしの中で妙な確信となって、体感と共に胸に残っています。
生き物とか生命とか自分って言うものは、たまたま今いっときだけエネルギーが凝り固まって、ぎゅぎゅうと身体という袋に入れられてるだけなんじゃないか。
身体の使用期限が終われば、またエネルギーは拡散していくだけなんじゃないか、って。
そのエネルギーは膨大なものでした。
次から次へと身体の中心からゴゥゴゥと大量に流れ出ていくのに、それが尽きるかもと思うまで相当な時間がかかりました。
相当なものが、この身体の中に詰まっているのだと。
このことから悟りを開いたわけでもなく、何かを開眼したわけでもないのですが。
世界の深淵を覗いたような気になりました。
今日は、天がすべての罪を許すと言われる「天赦日」と、一つのことが万倍になる「一粒万倍日」が重なる夏至前日。
遠くのお山に行きました。
飽きるほど、滝壺と大雨の後の強い川の流れを見て、そんな体験を思い出した次第です。
▼今日のおすすめ
映画『ゼロ・グラビティ』監督:アルフォンソ・キュアロン
ミッションや愛も描かれているのですが、これは体験型の映画。とにかく苦しい。ずっと苦しい。空気とはエアーとは。タイトルは『エアー』の方がいいのではないですか?と言いたいくらい。ゼロ・グラビティ(重力ゼロ)なことも大変ですけど、それよりなにより人間は空気がなければ一瞬で死ぬんだと言うことを、延々と突きつけてくる映画です。からのラストが素晴らしくて、やっぱりタイトルはエア(略)
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
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