Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

幻の東京五輪

本来なら東京オリンピックが開催されてた筈の祝日。
漫画「AKIRA」がまるで予言したかのように、東京オリンピックは疫病によって中止されました。

この春、コロナによって次々と個人的な仕事や予定が中止される中。
それらに対して、どこかで現実味がなかったという話を前にも書きました。本当にそれは行われるのかな?行われる気がしないなぁ、という漠然とした感じ。未来の感触にモヤがかかっている感じ。
東京オリンピックもまたそうで。
お祭り騒ぎもスポーツ観戦も、海外の人たちが日本にわんさか来るのも、普段ならとっても楽しいことでワクワクしてもおかしくない。
特に開会式が大好きで、各国の世界的演出家やアーティストが織りなすそれを毎回楽しみにして観てしまう。
なのに、全然関心がありませんでした。
どこか他所事で。
開会式の演出を誰がするのかとかも知らないまま。
予言でも予知でも勘でもないし、この感覚がなんなのか自分でもわからないけれど。オリンピック中止となることがものすごく自然に感じたのは事実。
(正しくはまだ延期?なのでしょうか?)

同時に。
コロナという世界的疫病を、自分の身でも生活でも、遠く離れた土地の人と同じように体験したことで。
世界のいろんな情勢を、いつのまにか身近なものとして感じるようになった。
一つの疫病が一瞬で地球全土を覆う。
交通網の発達とグローバル化によって。
そして情報網によってそれがリアルタイムで把握していくことができる、一市民であっても(すべての真実ではないにしても)。
その事実を危険を伴って体験したからかもしれません。

自国のあべさんのマスクとか、ゴートゥーなんとかはため息しか出ないけど。

アメリカから端を発して世界中に広がっている人種問題の活発な運動とか。
香港が中国に飲み込まれていくこととか。
世界の中で韓国が存在感を増してきていることとか。
アメリカや、欧州の力が失墜していく感じとか。
同時多発で音を立てるように蠢き始めた新しい世界の流れを、どうなるのだろうと物語を見るように注視してしまう。
現代社会と言うものは、本当につい最近のことで。
今ある思想や思考や当たり前とされている常識は、人類の歴史の末端の末端。ホモサピエンス発生からだと30万年。
そこから現代社会と捉えられる西欧が主とする歴史がおよそ500年。
日本で言うなら鎖国を開いてから150年しか経ってないし、いまだに政治の中枢はその時の権力構造のままだ。
たったそれだけの時間の中での価値観に過ぎない。

いつもそのことを念頭に置いておきたいと思う。
いまある常識なんて、本当は浅くて脆くて。次の瞬間にはどうなってるかなんてわからないってこと。

ますますフレキシブルに柔軟に、変化を前提としていないと生き残れないなと感じる今日この頃です。
生き残りたいのかは、よくわからないけど。

f:id:kuhmai:20200724131222j:image

読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

・小説発売中

りゅうとむすめ

りゅうとむすめ

 

Eri Koo(エリ・クゥ)
Website
https://erikoo.themedia.jp/
【LINEでBlog更新を通知します♪】
※登録者情報はわたしに知らされませんので、 お気軽にどうぞ!

友だち追加

お問い合わせはこちらのフォームからどうぞ
[eri koo] - CONTACT

--- オリジナル小説発売中 ---

りゅうとむすめ

りゅうとむすめ

  • 作者:Eri Koo
  • 発売日: 2020/04/04
  • メディア: Kindle版