Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

年齢の呪い

この国には「年齢」に随分と呪いがかけられているように思う。
前回の記事でも書きましたが、わたしもまた、まんまとかけられていた。

若いうちにやってればね。
もうこの年からじゃね。
今から始めたって仕方ないしね。

なにかをあきらめるための言い訳によく使われる。

もう年だから仕方ない。
この年齢ならこんなもんだよ。
年取ると元気がなくなるんだよ。

だから、現状を改善する策は無数にあるのに、億劫だったり、それまで自分がしてきたことの否定につながるようなことをさけるための、言い訳にも使われる。

でも、ただただ関係ない。
年齢は、そういったこととはまるで関係がない。

誰かが何かを売るために。
売って人より得をするために。
そのために年齢をだしにする。
年齢を使って、焦らせ、不安にさせ、それを忘れられるような楽な手段で、しあわせが手に入りますよ、と、うたう。
楽な手段とは要するに、金さえ払えば。
これを食べさえすれば。
これを知りさえすれば。
これを身につけさえすれば。

これらを、買いさえすれば。

そんな常套手段が、まるで社会規範のように、いつのまにか世の常識かのように浸透して。
人の考えの中に静かに沈み込んでいく。

はたと立ち止まって。
無音の中で自分に問いかけて。
それは、本当に、自分の内から同意して感じたことか?
本当は、自分はどう感じているのか?

そうした時間を作らない人は、そのまま誰かの都合の良いように作り上げた考え方が、まるで元からあった自分の考えかのように勘違いしたまま、生きることになる。

瞑想?座禅?
なんかあやしくない?
宗教?スピリチュアル?
頭、大丈夫?

と、受け流してしまう。

瞑想も座禅も宗教もスピリチュアルも、霊性と呼ばれるものは何にもあやしくない。
それらは本来すべて、ただ己と向き合うことを指し示している。

特定の宗教や神を盲目に信じたり、カルトな空気の中で誰かに依存しながらする瞑想とはまるで別物。
けれど、そういったイメージの方が浅く広く知れ渡っている。
それもまた、しっかりと己と向き合って自立した思考の人が増えると、盲目的に物を買ってしまうような人間が減ってしまうから、そんな操作がなされているのかもしれないし。

世の中は大抵がそうやって「仕組まれている」けれど。
それを不安がったり恐れたりする必要もない。

そういったものと距離を置けばいいだけ。
そうすると思ったよりたくさんの時間が手に入る。

その分、冷静な目で見れるよう、己と向き合う時間を作ればいい。
信頼できる人と心の交流をすればいい。
自分がニコニコしちゃうようなことを存分にすればいい。

そうすると、お金はちゃんと回るし。
必要な人とは出会えるし、大好きな人のことはもっと大好きになるし。
ニコニコする時間はどんどん増える。

瞬く間に過ぎるようだった時間さえ、どんどん膨らんでいく。

それこそ、子どもの頃の一日のように。
それは、大人からすると、まるで遠い旅に出たかのようなくらい長い長い時間。
それを大人になった今、また感じれるようになる。

時間は伸び縮みする。
それは、アインシュタインに証明されなくたって、誰だって感覚として知っていること。

年齢と時間と。
本来それは、自分だけの認識の中にある。

ゆっくりと目を閉じて。
深呼吸をして。
自分の中の時間とか、年齢とか、考えずに感じてみる。

そんな時間を取ることが、かけられた呪いを解く方法かなと思う次第です。

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読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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