お彼岸と先祖供養の話
明日の雨から、ぐっと寒くなるとのこと。
灼熱の夏が幻だったかのように、くっきりと秋になってしまいました。
そして今はお彼岸真っ最中。
昼と夜の時間がちょうど等しくなる秋分の日をはさんで前後3日がお彼岸。
明日が最終日です。
このお彼岸の間はこの世とあの世がつながる時期と言われています。
ここで仏様の供養をすると、彼岸(悟りの境地)へ到達するのだとか。
先祖供養。
この、古式ゆかしい、いや、古めかしい単語。
まさか自分がこれを尊ぶ日が来るとは、夢にも思いませんでした。
複雑な家庭環境ゆえに、うちの家系は滅びる運命にあるのだなとうっすらと思っているし、実際、親族の数は先細ってきている。それで全然かまわない。
先祖供養って……なに?なんか良いことあんの?
そんな風に生きてきたのに。
昨年のちょうど今頃から、毎日、お仏壇にお線香をあげてチーン♪と鐘を鳴らすようになりました。
苦しいことだらけの人生だったのに。
気がついたら毎日しあわせで。
もちろんしんどい日も恨み節みたいな日もあって、色んな波はあるけれど。
そうしたら。
こんなにしあわせでいいんだろうか?
分けないといけないのでは?
というか返さないと?
そんな思いがわきあがってきて。
その思いは、今わたしがここに存在してしあわせでいるのは、連綿と命とつないできたものすごい数の人たちがいるからだ、という実感をともなった気づきを運んできたのです。
そんなことを。
今までのどのタイミングで人に言われても。
尊敬する人の本で説かれていても。
ピンとこなかっただろうし、あーはいはい理想論ね、とか、よく言われる感謝しようみたいなやつね、みたいなうがった感じでとらえていた。
でも、自分の中からわきあがってきたら、もう逃げようがない。
それで。
そういった膨大な先の世の人間達に対して、なにが出来るんだろう?って考えたら、まず、わたしがしあわせでいることで。
愛する人に何を願うって、それしかない。
しあわせでいてほしい。
その次は、感謝を捧げることだなぁって。
それはやっぱり昔ながらに。
ご先祖様たちって、お線香の煙や良い香り、そして毎朝の新鮮な水やお茶、そして場を浄化する鈴の美しい音が、とっても大好きなようで。
それと共に、まじりっけのない「ありがとうございます」という気持ちを送る。
自分の大事な人がしあわせでいてくれたら、もうそれ以上のうれしさはない。
その上、その人がちょっと振り返ってこちらに感謝の気持ちを向けてくれたなら、もうなんにも言うことなんてないくらい、そこは天国になる。
そんなことを1年続けて、すっかり習慣になって。
もちろんうっかり忘れたりバタバタして、お線香つけれない日もある(火は危ないのでね)。
それでもなんだか、いい感じなのです。
自分の中に、すっと一本芯が通った感じがするのです。
これを書いちゃうと誤解されそうだけれど。
困ったときに助けられたり、物事がうまいこといったりすることがすごく増えたように思う。
もちろんそれは願ったことじゃなくって。
無心で行ったことに、後からついてきてる気がするくらいのことで。
むしろ、他力を願うのはあんまり良くはない(神さま仏さまでも同じ)。
ただただ「ありがとう」って思ってるだけの方が、うまくいく。
そもそもこの世はうまいことなっていて。
短期的視点だとしんどいことだらけの世の中だけど。
もっと長いスパンや広い視点を持つと、因果応報で等価交換で、まるで物理エネルギーの法則のようになっている。
人間の小さい視点では、見えないだけ、気づきにくいだけで。
けれど、なにごとにも感謝をしていると、そういうことにも気づきやすくなるように思う。
一時しんどいことも、後から考えたら、そのしんどいことは別の良きことへの階段だったりハードルだったと気づくし、その速度も上がる。
そうは言っても聖人君主じゃないので、いろんな煩悩も苦悩も、暴言吐いちゃう日もあるんだけど。
だからこそ、朝の一時。
お線香あげて、チーン♪とするその一瞬だけは。
本気の感謝を捧げる。
それでなんとか、プラスに持っていけてるようにも思う、今日この頃です。
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
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