Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

崇神天皇とうがい手洗いの話

昔々、第十代天皇崇神天皇という方がおられまして。
西暦で言うと300年辺り(諸説あり)に在位していました。
古事記日本書紀(以下、記紀)にも長く記述があり、本当に存在した可能性のある最初の天皇とされています(記紀に記されている天皇は実在しない者も多いのではないかと言われています、特に最初の方は)。

崇神天皇が在位中、疫病によって日本の人口が半分以上減ったと記紀には書かれています。
どうしたらいいかと神託を望んだら、大物主を祀れば良いと言われ、そこから奈良の三輪神社信仰が始まったと。
で、その時に行ったのが自身を沐浴斎戒し(体を水で清めてケガレを祓うこと)、神殿を清めること。
そして全国の神社に手水舎を置いて、自分や神殿と同じように、民衆もまた身を清めさせて災いを避けるため、手洗いとうがい(口をゆすぐ)を広めたのだそう。
おそらく同時に、家の中も清めておくのが大事と、神社という人が集まる場で説かれていったと考えられています。

この記事で、日本人の手洗いとうがいは平安時代祇園祭のときに広まったのかな?と書きました。

erikoo.hatenadiary.jp
それよりもっと前だったわけです。
祇園祭は863年ですから、それより約500年前。

祇園祭は、富士山大噴火、陸奥(東北一体)大地震マラリア天然痘、インフルエンザ、赤痢、麻疹などが流行した地獄のような時代に、それらを鎮めるために始められました。
崇神天皇の御世である300年は季節の寒暖も、四季の順番も乱れて疫病が流行ったのだと日本書紀に記されています。

なんだかちょっと最近の日本と重なってきますよね。
地質学者によると、今は小氷河期に向かっている時期とのこと。

2500年前には急激な人口減少があったと、東大の研究チームによる日本人男性のDNA分析より明らかになりました。

scienceportal.jst.go.jp

小さな温暖期と寒冷期が繰り返される中、人類はその転換期に起こる災害や疫病によって、自らも変化させて生き残ってきました。
世界的な民族の大移動や、狩猟採集から農耕への転換、日本では縄文から弥生へと文化が切り替わったのもまたそれです。
先に述べた崇神天皇の時に、手水舎の普及とともに稲作も日本全国へと広がっていき、戸口の調査もおこわなれ、一つの国に統一が成されていきました。
(話逸れますが、その際に、旧敵対勢力であった大物主や早良親王菅原道真などを祀ったのは罪悪感からの罪滅ぼしなのかはわかりませんがおもしろいですね)

温暖期も寒冷期も太陽活動からの影響です。
人類は太陽によって生かされているし、動かされているし、一瞬で死滅させされてもおかしくはない存在。

うがいと手洗いが広がっていたおかげで、もしかしたら新型コロナからの被害も少なかったのかもしれない日本。
その起源が神託による地恵とは、なんとも日本らしいなと。

太陽の光を浴びるのは心身ともにすごぶる良いようです。
これから日本は日照時間が少なくなり、太陽の力も弱まります。
なるべく外に出て太陽を浴びて、うがい手洗いもして、元気で過ごしていきたいものです。
大きすぎる太陽や地球や人類のことを考えながらも、このちっぽけな一人の人間にまずできるのは、それかなと思うのです。

と、台風がきてめっちゃ雨降っててめっちゃ寒い大阪の地で綴る次第です。
寒いーーー(寒いのキライ)。

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Published by 三英舎 - "大日本帝紀要略", パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3901368による

読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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