密教の密ってなあに
昨日の記事の続きのようなもの。
真言宗の三密行の「密」とは。
つまり密教の「密」って、一体ナニ。なんなの。
(もちろんコロナ禍で流行りの密ではありません)
密とは、現れていないもの。
物事の裏にある、真理。
と、真言宗のお坊様は説きます。
密、すなわち「仏の悟り」とは、本来、言葉にならない状態。
無言語状態。
なので、密教とは文字によらない教え。
密教は必ず、師から弟子へ秘密の儀式を経て直接伝えられる。
秘密の教え。
対義語は顕教(けんきょう・けんぎょう)で、反対に、顕れる(あらわれる)わけですね。
真理は、物事の裏に隠れている。
それは、体験や経験でしか会得できない事象。
文字で伝えられても理解が出来ない。
そもそも、考えていることだって、すべて文字や言語では現せない。
本当にその人が感じていること、考えていること、体験や経験、五感、全てを伝えることは人間には出来ない。
そう考えると、この世のほとんどは現れてはいない。
見えないものがほとんどを占めている。
まるで、宇宙のダークマターと同じだ。
見えるものだけで、何かを計ってはいけない、答えを出してはいけない。
見えないものも。
真理とまでは言わずとも、言語化出来ない思いや感情も、一つの言葉には含まれていたりする。
なるべく、そういうものを感じれるようにありたいな、と思う。
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
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