Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

自分のスパダリ化ー自分を大事にして優先すること

お山に入る。
しばしぼんやりとしていると、ヒグラシが大合唱し始める。
いろんな音色の、カナカナカナ。
誰ひとりいない森の中。
滝が岩に打ち付けられる音、そこから流れていく水の音。
ヒグラシだけじゃない、ミーンミンミンのミンミンゼミ、ジリジリジリジリのアブラゼミ、シャアアアアンのクマゼミ
木々のざわめき。
うるさいくらいなのに、うるさくない。
溶け込むように、頭のノイズが消えていく。

こんにちは。
Eri Koo(エリ・クゥ)です

お山は暑いけど暑くない

夏まっさかりですね。
ヒグラシの声を聞くと夏も終わりな気がしてきますが、本当は6月頃から鳴いてるんですよね。秋の季語だけど。
それでも、なんとなくおセンチな感じのあの声は秋っぽく、自然の中にいると、小さな葉が落ちはじめてたり、もう秋の準備に入っているのだなと感じます。

本日は「自分を大事にすること」について書いていきたいと思います。

毎日楽しいなぁ~って人は、読まなくてもいいかもしれないです。
でも、なんか毎日しんどいなぁ~明日が楽しみじゃないなぁ~って人や、そういう人が近くにいて気になるなぁ~って人は、ちょっとヒントになるかもしれません。

自分で自分を大事にするとね、いいことばっかりです。

まず、愛する人が側にいようがいまいが、人は絶対的に孤独です。
血がつながった親子だって、いつかはどちらかが先に死にます。誰かを愛し愛されていても、おなじようにいつかはお別れがきます。永遠にそばにはいません。
そして、愛し愛されていても、100%まるごと理解してくれたり、24時間どんなときにも付き添ってくれるわけではありません。都合よく、いつだってゴキゲンでいつだってやさしくて、いつだって自分だけにあたたかな愛をそそいでくれるわけではありません。
どんなに仲が良くて気が合って相性抜群であれ、他人は心の中にはいないので、自分と同じに感じたりしません。身体も魂も別で、体験するのはいつだって自分だけの体験です。
同じりんごを一口づつ食べたって、その味わいも好きな具合も感じるのも栄養になる具合も、人それぞれです。その一口だって、厳密には同じものではありませんよね。りんごの違う部分です。全く同じものなんて食べられない。
それが人間です。
孤独です。

でもね、自分がいます。

いつだってどこだって、自分には自分がそばにいてくれてるんです。
精神世界うんぬんかんぬんでなくとも、誰だって「自分つっこみ」ってすると思うんです。
失敗したときに「わたしのバカー」とか、成功したときに「天才か、わたし」とか言ったりして。
どこかで自分を客観視してる、もうひとりの自分がいるはずです。
そう、誰かと仲違いしたりケンカしたり別れたりしようが、怒られたりバカにされたり、なんかひどい目に合わされたりしようが。悲しんでても喜んでても、なにをしてるときにも、絶対的に一日中、一生、そばには自分がいてくれます。
その、もうひとりの自分。自分そのもの。
その存在が「絶対的に自分の味方でいてくれる人」であれば、どんな世の中だってメンタルをすり減らすことなく(すり減らしてもちゃんと回復して)、渡っていけると思いませんか?

もう一人の自分はずっとそばに

昔々、わたしはいつだって自分に対して怒っていました。
なんでこんなことも出来ないんだろう、また失敗した、またうまくできなかった。
そして同じくらい他人にも、なんで自分の思うようにしてくれないんだろう、やさしくないんだろう、って怒っていました。

でも、あるとき。
あれ、なんか、わたし、かわいそうやん。
って思ったんです。
四六時中、自分で自分にダメ出しして、怒って、責めて。
なんでこんなこともできないんだ!ステキなあの子はあんな風にうまくできてるのに!
って、一番イヤな上司とか親の「ヤル気がなくなる怒り方」をしてたんですよ。誰かと比べたり、失敗ばっかり指摘する。うまくできても、たいして褒めない。それをずーっとやってる。
そりゃあ、なんかもう、心が変なことになっちゃいますよ。元気なくなっちゃいますよ。年がら年中、自分を全否定ですもの。

「人は鏡」って昔から言いますよね。
本当にそうなんです。
人は、自分で自分を扱っているように、人から扱われるのです。

なのでね、自分を大事にすると人からも大事にされるんですよ。
なんかイヤな人とか合わない人って絶対いるじゃないですか。でも、そういう人に遭遇する率がちょっと減ってきたり、その人の態度が変わったり、自然と距離が離れるようになったり。
あるいはそのイヤな人となるべく関わらないように、早めに避けたり、自分を守ったりできるようになる。
その分、いいなぁ~って思うやさしい人が周りにいるようになる。

それでですね。
じゃあいきなり、「自分で自分を愛しましょう」ってなると、ちょっとうさんくさいって言うか、ふわふわした理想論みたいになっちゃうと思うんですけど。

試しに。

自分を、ひとりの小さな子どもだと想像してみてください。
いくつでもいいんですけど、では5歳だと思ってみましょう。
ちっちゃい方がいいかもしれません。
その5歳の小さな子は、近所の子だと思ってください。
あなたは、その子に対して、やることなすことダメだダメだって言いますか?
失敗したときに手厳しく叱ったり、その子がはじめて作った折り紙がぐちゃぐちゃだからって、この下手くそ!なんで完璧に折れないんだ!とかどなったりします?
会った瞬間に「変な顔」とか「かわいくない」とか「なにをやってもダメだ」とか言います?
しないでしょ。
したら怖いでしょ。
そんなひどいことしませんよね。
折り紙ぐちゃぐちゃでも「いいね~!よくできたね~!はじめてなのにすごい!」なんて言いたいじゃないですか。
それで、キャハ!って喜んで笑ってくれたら、こっちもうれしいじゃないですか。
それを、自分にしてあげるんです。

「え~、そういう想像力ないし無理。5才じゃないし」
って人にはもうひとつ。

あなたの目の前には、あなたの理想的なパートナーがいます。
王子様でもお姫様でも、推しアイドルでも、よく行くお店のイケメンやかわい子ちゃんでも、芸能人でも空想の人でもなんでもいいです(理想的なパパやママでもいいですよ)。
その人がね、なにしてもほめてくれるんですよ。
えらいね、すごいね、さすがだね、かわいいね、かっこいいね、ブラボー、天才、君にしかできない……なんでもいいです。どうほめられたらうれしいかは人それぞれなので、そこはがんばって自分が一番うれしい「ほめられ」を想像してください。
それでもって究極に甘やかしてくれるんですよ。
「なんだって、あなたのやりたいようにやったらいいんだよ」って。
「失敗しようが成功しようが、あなたは本当に最高だよ」って。
「抜けてるとこも、気分にムラがあることも、全部大好き。見た目だって誰がどうい言おうが、俺の(私の)好みど真ん中だよ。世界一だよ」って。
その上、あなたの愚痴にも「そうだね」って一個一個共感してくれるんですよ。
「こんなイヤなことがあったの~!」って言うと「そっか、それはイヤだったね。わかるよ」って共感して聞いてくれる。
そこで余計な意見とか改善案とかダメ出しとか、しないんです。
「そうだったんだね、がんばったね」って聞いてくれるだけ。共感してくれるだけ。

これをね、もうね、徹底的に自分で自分にやってあげるんです。
いわゆるスパダリを自分の中に持つんです。
(スパダリ:スーパーダーリン。少女漫画に出てくる最高にやさしい、最高に金持ち、最高に器がデカい、最高に気づかい上手な最高イケメンキャラのこと)
男性ならスーパーヒロインでしょうか。
いつだってあなたを元気づけてくれる、最高にかわいい・かっこいい自分好みの相手。
それが、四六時中、永遠に側にいてくれるんです。

誤解のないように言いますが、決して妄想の中に逃げ込めって話ではないですよ。

ハートがいっぱい LOVE・LOVE・LOVE

ともかく、自分を5才児だと思って褒めて伸ばしてあげたり。
はたまた、スパダリに元気にしてもらったり、をちょっとやってみてください。
結構はやい段階で、自分の気持がほぐれたり、おだやかになって。そして周囲の対応も変わっていくのがわかると思います。
なんか、自分って、いいぞ?
ってなってきます。

なぜならば。

自分を大事にすると、人のことも大事にするようになるからです。
人に、やさしくなります。
なので人も、やさしくしてくれるようになります。
自分を大事にすると、人からも大事にされるのです。
実験してみてください。
そして観察してください。
実際に変わっていくのが自分でわかれば、腑に落ちると思います。

普段、自分さえ我慢すればいいと、自分を痛めつけてませんか?
トイレ、行きたいときに行ってますか?
食べたいものを食べてますか?
着たい服を着てますか?
状況や空気を読んで他人を優先したり、自分はこんなもんでいいんだ、一番安いやつでいいんだ、と自分をないがしろにしたり、取るに足らないモノのように扱っていませんか?
(もちろん、一番安いものを買うことが最高にしあわせな場合は別)
5才の子に、食べたいものを我慢させますか?
トイレ、行きたいときに行かせてあげないんですか?
着たいと言ってる服を、どうせキミには似合わないよと着せないんですか?
5才の子に、そんな意地悪、しませんよね。
そんな意地悪を、自分にしてるかもしれないのです。
5才の子だって、40才だって80才だって、されたらイヤなことは同じです。
人は意地悪をされると、どんどん本来の元気がなくなっちゃうのです。

そして自分をそう扱うことは、他人にも「あなたはそう扱っていい人間なのだ」と示していることになるのです。

しかしなんで、そんなにも自分に厳しく自分いじめをしちゃう人が多いのでしょうか?

そもそも親が、そのまた親が、そうやって「自分より社会」を優先するように教育されてきて、そうしてわたしたちを教育してきたし。
今だって、そうやって自分を大事にしない人の方が、社会にとって都合がいいからなんですね。自分よりも他人や社会を優先するから、コントロールしやすいんですね。
でもね。
そんな風に自分を犠牲にして優先してきた社会が、はたしてどんなもんか。
この数年であれれ?って思った人も多いのではないでしょうか。

結局、本当により良い社会のことを思うなら。
小さい子も、お年寄りも、お友達も、家族も、そして自分にも、苦しくなく、より良いように生きられる社会であるといいなと思うなら。
自分にやさしく、人にもやさしく、が基本です。
だからやっぱり、まず最初に自分を大事にしてこそ、です。
なので、自分に厳しいのも責めちゃうのも、あなたのせいではないのです。親のせいであり、その親のせいであり、結局そういう社会の仕組みのせいです。
なんで責めちゃうんだろ?って自分を責めるように考えなくていいです。
魚を釣れない理由を考えるより、釣れるやり方を知る方がいいですよね?
釣れはじめたら、釣れなかった頃のことどうでもよくなったり、そりゃあ釣れねぇわ!ってわかったりしますよね。
それで充分なのです。

トンボは前にしか飛ばない

自分を充分に尊んで、大事にしてやさしくすると。
本来の元気が戻ってきます。
そうしたら、自分を犠牲にすることと、他人に親切にすることの「自分の線引き」がわかってきます。
子育てとか仕事でも絶対的に自分がやるべきことがあるって人でも、ギュッと「そうすべきだと思い込んでた」ことから、ふっと力が抜けて。ちょっと自分のための時間を作ったり、誰かと作業を分け合ったり、そこまでしなくても良かったな?と気づいたりします。
あくまでも「自分の」です。性格もキャパも体力も人それぞれです。何にしあわせを感じるかも人それぞれ。あの人があそこまでやってるから自分もしなきゃ!と、人と比べないのも秘訣です。
ヒグラシとミンミンゼミでは鳴き方が違うじゃないですか?
それと一緒で、自分がヒグラシなのにミンミン鳴けない!と無駄にがんばると自分の良さが発揮できなくて、もったいないのです。
自分を大事にすると、自分がミンミンゼミでなくヒグラシであったことにも気がつきます。どんな鳴き方をすれば、伸びやかに全身を思いっきりふるわせて鳴き、生きていけるのかを、思い出します。

現代社会は、ヒグラシやアブラゼミクマゼミなどのさまざまな個性を生かすより、全員がミンミンゼミであるような教育が成されているので、そんな錯覚を起こすのかもしれませんね。

同じように見えても蝉も種類がたくさんあるし、一匹一匹個性がある。人だって、ひとりひとり絶対に違うんですよね。

そしてそんな、誰とも違う自分を、一番に尊重できるのは誰あろう、自分なのだと思います。

それではまた!

まぁともかく、美味しいものを食べましょう!

読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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