Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

三年前の紅茶、自分という果実

三年前。
新型コロナによって生活スタイルが変わり、家にいる時間が多くなったとき。
インドア生活の楽しみとして買った紅茶250gがついに全部無くなった。
賞味期限はとうに切れていたけれど、自分で買って自分で飲むんだからへっちゃら(お茶類は匂いがうつらないよう厳重に蓋をして、チルド室に入れてるし)。

アールグレイが大好き

こんにちは。
Eri Koo(エリ・クゥ)です。

この数週間、五年ぶり、六年ぶり、十二年ぶりの友人たちから連絡があったり、再会したりで、ようやく停滞していた川が流れ始め、春がやってきたように感じた。
三年ぶりに。

やっと、ひとつのターンが終わって次の時期がやってきたようにも思う。

この三年で変化した、気持ちの中で大きなこと。
都会や街へ行きたいという気持ちがなくなった。
それはイコール、住まいの郊外ベッドタウンを含む、自然豊かなローカルサイドで過ごしたいということ。
街へ出て、暗い色のビルディングだらけの景色を見ても、押し合いへし合いする人混みの中にいても、なんだかしんどい気持ちにしかならない。
ほぅっと深呼吸ができない。
目的があるときはイヤホンをして好きな音楽を聴いて、意識の半分をそっちに逃避させ、もう半分の自分でそっと息を潜めて、やり過ごすように通り過ぎる。
呼吸が浅く、歩くテンポも早くなって、身体がそこからはやく脱したいのだな、とわかる。
もちろん若いときはいつでも街にいたかった。
どんなに夜遊びしても、歩いて帰れる街に住んでいた時期もあった。
でももう、全然興味がない。
大事な友人に誘われたときだけ、たまに、ちょっと懐かしい気持ちで楽しむくらい。
たまになので、おのぼりさんのように街を楽しむ。それはそれで楽しいことでもあるのだけど、長く、しょっちゅう居たいとは思わない。

今、住んでる場所の目の前には広大な公園があり、ちょっと歩くと、自然が放置されたような河川敷が延々と続いている。
どちらにも、たくさんの虫や鳥がいる。
いろんな雑草や木々や、季節ごとにたくさんの花が咲く。
連れられて散歩してる犬も、野良の猫もいる。ヌートリアもいる。
毎日違うように流れる川を見て、流れる雲を見て。
風のない日や、強い風の日、または時間によって違う風の形を感じる。
一日一日がまったく違う。
四季じゃなく、毎日がどんどん移ろっているのがわかる。
小さな変化を見ることで、大きな変化を感じることができる。
それが、自然に近い場所で生きてるとわかる。

そのことは、行動範囲を変化させ、結果的に人間関係も変化させる。
自分の心の位置が、好きなものが、優先順位が変化してしまったら、これまでいたところにはいられなくなる。一緒にいられなくなる人もいる。
その中で、変わらぬ大切なものはちゃんと残る。
再び会うこともある。

人の本質的なところは変わらなくても、どんどんアップデートは可能だ。
それは、やわらかくいること、心を開いていることで起こる。
具体的には、ものごとをちゃんと見ること、ちゃんと聞くことだ。
人の話を、そのまままっすぐ聞けているか。
毎朝、窓を開けたときの光の違いを感じ取れていれるか。
そして、毎日変化する自分自身を、目を背けずに向き合ってるか。

もちろん、そんなこと全然できてないけど。
そう在るようにしたいなぁ~と、ゆるく思って生きている。

この数年、わたしは自分で知らなかった自分を何度となく見ることになり、まるで蛹の中身のようにカオスのスープ状態になっていた。
今も、まだ、そう。
ずっとやりたいと思ってやり続けてきたことに違和感が出てきたり、本当に本当にやりたいのか?と疑問が生まれてきた。
自分自身がよくわからない。
今まで、自分だと思ってた認識がどんどん崩れ、人から自分に対して言われる言葉もこれまでとは全然違ったものになってきた。
わたしってどういう人?
と、聞いてまわりたいくらいにわからない。

友人にそんな話をしたら。
「自分がどういう人かなんて興味ないし、知りたくもない。知ろうとすること自体がめんどくさい」
と言っていた。
そっか、自分を知りたいと欲すること自体がわたしの個性でもあるのだな、と知る。

わたしの根源的欲求は「知りたい」だ。
知って、驚いたり納得したりすることが、快感だ。
その対象は、民俗学だったり生物だったり医療だったり植物だったり、キャンプや漫画やダンスや音楽や風俗だったりもする。
目の前のおもしろそうな人物だったり、カッコいいバイクだったり。
その中に「自分」も入る。
人間の内面、ともいえる。
この世に残された人類未踏の地は、アドベンチャーは、宇宙と深海と人間内部だそうだ。
ということは、人間の精神や内部に対して好奇心が止まらないのはわたしだけじゃない。
ありとあらゆる古代から今に残る宗教や思想や哲学がそれを物語る。
スピリチュアルや宗教的なものに興味を惹かれるのも、人間そのものと、人智を超えたものについて知りたいからだ。

知りたい。

そんな、強烈な欲望の核があるのだけが確かな自分だ。
でも、その核以外のところが、今はぷよぷよと漂うゼリーのようだ。
梅干しでいうなら核が種で、果皮の部分がゼリー。
ゼリーの部分は今後どんなふうに変化していくか、まったくわからない。
ただ、生まれ持った純粋な性質や気質みたいなものが、前に出てくるような気はしている。
小さい頃から学んで身につけてきた、生き残るために必要なもの。
もう古くなった考えや、必要なくなった信念、誰かから植えつけられた呪い。
次のターンに、どれが役に立ってどれがもう捨てるべきか。
内面に向かいながら、他人や環境という外のコトによって整理整頓がされたとき、また新たな「わたし」の果皮が形成されて、実が熟すのかもしれない。

桃栗三年柿八年。
梅は何年?
わたしは何年で、あなたは何年だろう?
どんな実が成るのか。
樹とは違って人間だから、熟すたびに違った実を成らすことだってアリなのだ。

春の海に行きました

読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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