明日は部分日食と旧正月 - 人生は波乗りだ!の話
本日、旧正月前夜の大晦日。
冬至を経て、節分と立春を越して、ようやく新たな一年が始まります。
自分の誕生日、西暦、旧暦、いろんな暦、自分だけの大事な日。
どこに、一年の始まりを持ってくるか、人それぞれの自由。
それを心の内に抱きながらも、西暦のお正月に「おめでとう」と返すのもコミュニケーションの妙味。
新たな一年はどのようなコトがやってくるのでしょう。
どのような自分で在るのでしょう。
わたしはいつも、人生をサーフィンに例えます。
(サーフィンしたことないしする予定もないのに、心の内に何故かサーファーがいるのです)
いろんな波がくる。
大きな波、小さな波、荒い波、美しい形の波。
自分の力量で乗れる、乗れない、乗りたい、乗りたくない、瞬時に判断する。
例えそれが失敗しても、死ななければ、また、挑める。
挑んだから、失敗したから、自分にはまだ乗れない波だった、良い波ではなかった、と知る。
同じ波に乗るのでも、人によって乗り方もその姿も全然違う。
そして、凪もある。
ただ、静かに、ポイントを合わせながら、待つ。
ポカンと。
または、いろんな事を考えながら。
どんな波がやってくるかは、大自然のもの。人はコントロールはできない。
それでも、選べる。
乗りたい波があるような場所に行く事も自由だし、
乗りたい波にいつでも乗れるように練習し鍛えることもできる。
及ばないこともある。
及ぶこともある。
その行程そのものが、すべてがFUNだ。
こんな波にこんな風に乗りたいなぁと思い描くのも、そのために自分の身体を変化させていくのも、そうして海に入り、その波に乗ることも(うまく乗れないことも)。
大自然があり、それと向き合う。
それと向き合う自分と、向き合う。
失敗を通じて。
成功を通して。
ただポカンと波に浮かぶ、そんな時間と共に。
どんな波に出会いたい?
どんな波に乗りたい?
そのためにどうする?
いつもいつも問いかける、自分の内側に。
その答えは瞬間瞬間で変化する。
そして問いかければ問いかけるほど、自分の深部を覆う扉がどんどん開いて崩れ去る。
それらは、かつて自分の深部にある本当の自分を守るために作られた。
時には親から、時には教師から、時には目に見えない社会的圧力から、自分自身を守るために。
それらは必要がなくなっても、作られたことにさえ気付かずに放置されてしまう。
かつて守ってくれたそれは、役割を終えると本当の自分を覆ってしまい、本当の声を聴こえなくしている。
例えば。
女の子らしくかわいいスカートを履いていたら
「色気付いちゃって!男を誘惑しようとでも思ってるの?」
と言われたデリケートなあなたは、かわいいスカートを履くことが男を誘ってるように見られることを恐れ、スカートをさけるようになってしまう、とか。
(大抵そんなことを他人に言う人は同じように抑圧されたり、恋愛に対しておかしなコンプレックスがある人です)
でも、もうそんな心ないコトを言う人はココにいない、あなたはあなた自身の喜びのために、かわいいスカートを履いていい。
「あなた(わたし)はどんな波に乗りたいのだろう?」
「たぶんソレだと思う・・・なんか違う気もするけれど・・・(なんかもやもやするけどよくわからない・・・)」
そして波に乗ろうとした瞬間「あれ?違う!コレじゃない!」とあなたは感じるかもしれない。
もしくは乗った後に。
でも、そうやって「違う」に気づいていく。
「違う」モノやコトをどんどん捨てて、本当の自分が求めていることに近づいていく。
かつて作られた扉を開けて葬って、本当の自分の声を聴けるようにしていく。
「なんか違う」
に理由はない。
理路整然とした答えはない。
(理路整然と答えれる人もいる)
社会的におかしいかもしれない、論理的でないかもしれない、損する行為かもしれない。
でも、信じる。
損したっていい、社会でも他人でもない、他でもない自分が出した答えを。
本当の自分が出した答えは、間違えたって損したって、決して後悔はしない。
そしてその損は、長い目でみると本当の損ではないことがわかる。
さて、どんな一年になりますかね。
どんな一年であっても、自分の本当の声を聴けていれば大丈夫。
そして、心身ともに健全であること。
日本や世界の、地球や宇宙の、今までの常識がどんどん覆されていく時代。
(まぁいつだって人間の常識なんて覆され続けているわけだけれど)
みなさまの新たな一年が、自然で健やかなものであることを感じながら。
あけましておめでとうございます!
(少々のフライングはお気になさらず)
---
eri koo(エリ・クゥ)
【Website】
https://kuhmai.tumblr.com
【Instagram】
https://www.instagram.com/eri.koo.dance/