Another Passenger 1 - あるピアニストの話
カツーン!
石造りの塔の内部に、足音が響いた。
白い絹のタイツに、頑丈なヒールのついた黒いエナメル靴を履き、青いビロードで衿に金縁のジャケットを羽織った、少年から青年にさしかかった年頃のその男は、塔の階段を降りたった。
頭の中では自分で作ったピアノ曲が何度も流れている。
その度に熱いものがこみあげ、また、音楽のすばらしさ、そこから連なるこの世界の素晴らしさへと思いは登っていき、その清らかな至福に、この世に生まれてきた喜びを感じるのだった。
でも僕はこんなにも哀しい。
そして二度と会えないあの人に会いたい、愛おしくてたまらない、それを思うと胸の内が寒くて寒くてギュっとなる。
なのに・・・
そのことが僕に、とても、美しい曲を、創らせた。
今までで一番美しい曲だ。
自分でもそう思うし、皆もとても感動してくれる。
なんて、因果なんだろう・・・・
そして、なんて、音楽は美しいんだろう・・・この世界がどんなにも素晴らしいかを、僕に教えてくれる・・・
中世ヨーロッパ、彼は、最初にピアニストとして宮廷に招かれた、まだ少年だった時から、既に人気者であった。年上の貴婦人から、街のうら若き乙女まで。そう、とくに女性に人気があった。
金色にカールした髪、白い透ける様な肌、青に緑がかった水分をたっぷり含んだ瞳、薔薇色の頬。物腰の柔らかさと、屈託のない笑顔。
そして、何より彼の弾くピアノは、軽やかで華やかで明るく、誰が聴いても、晴れた空を観る様な心地の良いものだった。
しかしながら屈託がないその性格は、女性だけでなく、彼を好む貴族や王族の権力者も、音楽仲間の男性たちをも魅了した。彼は特定の権力者の寵愛を受け、少年の時点で、宮廷音楽家として安定した地位を確立し、それは彼が死ぬまで揺るぎないものであった。
当然お誘いも多く、少年のような若い時分から婦人達からの誘いが頻繁にあり、最初に性を知るのも早かったし、たくさんの女性たちとの遊びを楽しんだ。
貴族の女性たちにとって、彼は尊敬する美しきアーティストであり、後腐れのない便利なお相手でもあった。彼もまた、それを楽しんでいた。
彼は女性が好きであった。
なんて美しくかわいいのだろう、と彼女たちを思っていた。
みな毎日、色とりどりの布で出来たドレスを来て、くるくると回るとまるで色の洪水のようだ。そしてそれぞれが、花のようなとてもよい香りがして、髪も肌も唇も、なにもかもがやわらかい。
そして、本当にとても、優しい。
この女性の優しさというものは、男同士では出せない、不思議なものだ。
その優しさに触れると、なんだか何も考えられなくなり、ピンク色の綿菓子で世界を包まれたように感じる。そして少し、こわい。
彼は彼女たちの笑顔が好きで、喜ばせることが大好きだった。彼女たちの話を聞くのも、音楽を聴くようで楽しかった。
彼は自分の音楽で、みなが喜んだり感動してくれることが一番の喜びだった。
そんな彼がある日、一人の少女と出会った。
栗色の長い艶やかな髪、黒に近い物憂げな瞳、知性と品格を兼ね備えた彼女を観た瞬間、彼は初めて人を本気で好きになった。
恋をした。
これまで、数えきれないくらいの女性と浮世を流し楽しんできたのに、誰かを自分だけのものにしたいと思ったのも、自分の思いや考えていることを全部話したい、聞いてほしいと思ったのも初めてだった。
しかし、彼女は王女であった。
ピアニストの身分では遊び相手としてすら、自分からは近寄れない。それに、それがなかったとしても、いつもの女性に対するようには、彼女に接することができなかった。恋しくて、ふわふわとしたり、急に自分の全てがダメであるような気がしたりした。
王女が出席する音楽会の度に、彼は王女に向けてピアノを弾いた。それしか出来なかった。
王女は、いつ頃からか、それが自分に向けての音楽であることと、彼の想いを感じるようになった。
時おり、お互いにそっと、誰にもわらない程度に目線を交わしたり、皆の前で簡単な挨拶をする時に、目だけで何かを確かめ合うようになった。
王女はまだら少女であった。
彼はただの宮廷音楽家のピアニストであった。
それ以上のことは何もなかったし、できなかった。
そのうちに、王女は他国の王との結婚が決まった。
彼女が少女の身体から大人の身体へと変わったのが、ふんわりとしたドレスの上からもわかるようになった、そんな時期であった。
彼にも、王女にもどうしようもなかった。
王女は王女として生きる以外の道を知らなかった。
彼もまた、少年の頃から自立して生きてきて社会というものを、宮廷というものを知り尽くしていた。
そんな風に生きてきた彼女を奪い去ったところで、しあわせには出来ないことを知っていた。
王女がこの国にいる最後となる晩餐会で、彼はこの世で一番美しい曲を創り、弾いた。
彼女の美しさを、愛しさを、目線を合わすしかないせつなさを。
それでも出会えた喜びを、伴う哀しみを。
音楽だけが、彼女と自分を同じ空間でつなぎ、一緒にさせてくれる、そのしあわせを。
音楽のすばらしさを。
自分の全部をのせたその曲は、多くの人の胸を打った。
王様もお妃様も、貴族たちも皆、感動で泣いていた。
王女も泣き・・・そして、自分のための晩餐会で素晴らしい音楽をありがとう、と彼の目を見て、言った。
その涙でぬれた笑顔が、彼が見た王女の最後であった。
彼は30代半ばまで生きた。
人生の後半はオーケストラ演奏に力を入れた。
いつも音楽仲間とパトロンやファンの人々に囲まれていた。
結婚はしなかったが、引き続きたくさんの女と遊び楽しみ、身の回りの世話をする女もいた。
ある晩、仲間と飲んだ帰り、石畳に月の光が注ぐ道でしみじみと思った。
「なんて素晴らしい人生だろう、友と仲間に囲まれて、女性は優しく美しくて。そして、音楽に没頭することができて!!」
その思いで、死ぬまで生きた。
▼舞台のご案内
【絵画奉納式~天地流水~】
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【天地流水 公式サイト】
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eri koo(エリ・クゥ)
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