Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

アーティストでもなく表現者でもなく

日本でもそうだけど、海外では特に。
自分が何を思ってどう考えて、その行動をしているかの説明を求められる。
何かしらを創作したり、表現とされることをしているとなおさらに。

けれどいつもそれに躊躇するし、しっくりした言葉が浮かばない。
思って考えて、してるわけではないから。

過去にこんなトラウマがあったから。
世界情勢を憂いて。
自分はこんなことがしていきたいから。

どこかのテンプレートに合わせて、それなりに自分の思考を分析して論理を組み立ててみるけれど。
ある程度の文章に起こしてみるけれど。
結局はすっきりとしないし、本当のところは言い表せてないように思う。

ただただ勝手に浮かんでしまう。
自動的に身体が動いてしまう。
その理由なんてわからない。

まぁわかるよ。
アーティストってそうだよね。
でもね、それでも説明できないと駄目なんだ。

と、アーティスト関係の欧州の友人が言う。

でも正直なところ。
創作物、もしくはアートというものは、説明なんて抜きにして。
ただその作品を味わったり感じたりしてほしい。
創った人の経歴や作品の背景なんて必要ないように思う。
わたし自身、なにか作品を見るときはなるべく事前情報を入れない。
素のままでゼロの地点から見たいと思うから。

もちろん、見終わった後から、その背景や経歴をしって点と点がつながることだっておもしろい。だからあの表現なのか、だからああいうことを言いたいのか、など。

そもそも、アーティストってなんだろう。
いつまで経っても違和感がある。

どうしたってどこかで何かをするときは、自分のやってることを説明しないといけないし、仕方なくパフォーマーだとか舞手とかアーティストとかダンサーとか言うけれど。
どれも違和感しかない。

踊っていても、絵をかいても、文字を書いていても、それは神事をやってる。と、いつも思っている。
特定の宗教のそれではなくて、自分自身の神事。
「わたし」が何かしているという感覚がまるでない。
だから「表現している」と言われても、別に表現しているわけじゃないけどなぁと思う。
どこかに既にあったものが、ランダムだけど必然的にやってきて、わたしの身体を通して目に見えるものになる。
ただそれだけのこと。
わたし自身が何か表現してるわけではない。

ただ唯一「わたし」がそこに介在する理由は。
それがとても至福な行為であるから、自分自身の意思で「やりたいこと」であること。

こんなことを、言葉を尽くして説明するけれど。
なかなかうまくいかない。
下手に神事と言うと、だから神社とかで奉納してるんですね?神道なのですか?巫女さんなのですか?と特定の宗教の人だと誤解される。
仏教や空について少し知る人、もしくはヨガや太極拳に触れた人はなんとなくわかるような気がすると言ってくれるけど。
まだまだ、わたしの言語化能力が足りない。

目に見えない感覚の説明って、ほんとむずかしい。

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読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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