天地人のお話
天のエネルギーは粒になって降りそそいでいる。
降りやまぬ雨のように、とめどなく、尽きることなく。
身体にも葉っぱにも地面にも平等に、ありとあらゆる生物と大地に惜しむことなく、いつでも、どんな時でも、運ばれてきている。
その量は一定ではなく。
弱いときも強いときもある。
天からのエネルギーが少ないときは、大地の生きるものはすべて力が弱まっていく。
小さくなって、眠って、あるいは数を減らして、なんとか生き延びようとする。
太陽があり、地球があって、その間にたくさんの空間や他の星々があって、生物は存在する。
あまりにも日常の些事に囚われて。
人間関係や、明日のお金や、将来の心配に気をとられて。
身体の感覚や、勘というものを忘れてしまうと。
いつだってそこにある天と地の膨大なエネルギーが、人間一人にだって絶え間なく与えられていることに気づけない。
ちゃんとしたごはんを食べて。
よく寝て。
よく運動して。
あわただしく、けたたましく、そうぞうしい生活から、一歩ひいて。
河川敷や、山や、公園や、空が広い場所を散歩したり。
電車の中で、あるいは車で、好きな音楽を聴いて遠くの景色を眺めたり。
夜眠りにつく前に、自分が好きだなと思う場所にいることを想像したり。
そういう時間をとることで、少しづづ、いま自分が何を感じているかに気づく力を取り戻していく。
小さい頃、誰しもが持っていた感覚。
キラキラしたものに興味をひかれる気持ち、怖いものを怖いと感じる心。
天から降りそそぐ光の粒、大地ごとせり上がるかのように昇る力。
その様子は、植物に体現されていて。
木は、大地からぐんぐん上へ上へと伸び、ちょうどいい頃合いで葉を繁らせ、天からの光をたくさん受け取る。
そして、結実する。
人間も動物も光合成はしないけれど、太陽の光がないと生きられない。
大地を踏みしめて生きるようにできている。
そういうことが、ここ数百年、日本で言うなら戦後からの75年、忘れられているように思う。
あまりにも急がされて、あまりにも自然を見ないようにされて。
でも、人類500万年の間の、たったそれだけの時間だから。
少し努力すればきっと元に戻せるし。
その分がむしゃらに押しすすめたテクノロジーで、もっといいようにだって出来るかもしれない。
感覚や勘と、自然が何たるかを知ることと、科学やテクノロジーの発展は。
相反することなく融和して、良き方向へとすすむエネルギーになると感じる。
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
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