歳を経る楽しみと自己肯定感
小学生の頃くらいの未来イメージでは。
自分は浅野温子みたいな感じ(バブル時代でしたので)の大人になり、恋をして。
サザエさんのように当たり前に結婚して子供を産んで。
フネさんのように歳を取るのだろうか?
なんて、ふわふわと実感もなく想像をしていた。
ウェディングドレスを想像しても、何にもときめかなくて。
なんてつまらないんだろう、全然楽しみじゃないな、なんて思いながら。
もはやアラフィフとなった今。
結果、どれも全然違うものになっている。
前述のイメージは、現実に即して、そうならざるを得ないのだろうという、世間一般に合わせたイメージで。
幼少期から思春期にかけて、現実があまりに厳しくて、常にファンタジーの世界に精神を置いていたわたしは。
本当は。
ドラクエとか指輪物語のように魔法とか使えたり、AKIRAのように超能力者が友だちにいたり、ドラえもんみたいに宇宙人や異世界と交信したり、妖精とか神さまとか獣とか人間じゃない存在も一緒にいたり。
うる星やつらのような、多種多様で濃いキャラが各自自由に生きる世界で、ずっと終わらない夏休みな人生が良かったし。
仕事はなるべくしたくなかったし。
火の鳥に描かれているように、前世とか含めた、永い魂の旅の物語の途中の1話として、この一瞬の生を満喫したいと思っていた。
結局、それに近しいものになっているし、ますますそうなっていくようにも思う。
いくら社会とか権力者とかが、その都合のいいように刷り込んだり教育したりしても、その人の核にある、本人も自覚のないくらい深いところの「こう生きたい」を壊すことは出来ない。
それは、運が良ければ生きている内に花開くだろうし、運が悪ければ来世に持ち越されてしまうだろう。
でも、無くなりはしない。
歳を経てくると、世界も価値観も一つではないんだと知る。
自由に生きても良かったのだと、やっとわかってくる。
若い時期の方が、世界が狭くて自分の考えも小さくて、不自由だ。
苦しくハードなことと、すごくハッピーで楽しい日々とがないまぜになって、とても素晴らしい日々だったけど、二度と過去には戻りたくない。
無茶苦茶な生活をしても大丈夫な若々しい肉体は、失われたものとして感慨深くはあるけれど。
一度手に入れた自由な精神を失うことは、もう出来ない。
若さを否定してるのじゃなくて、そんな日々があったから、今があって。
そうやって毎日を積み重ねていくのって、歳を経るのって、終わってしまうことでもなく、減っていくことでもなく、楽しみなことだよ、と。
世界や社会がどうなるか、本当にはわからないけれど。
未来はますます明るくしか感じられない、この毎日は。
浅野温子になれなかったしフネさんのように生活してなくて、本当に正解(個人的な)を歩んでいけたなと。
ちゃんと、本来の「こう生きたい」に沿えてるな、と。
瞑想したり、内省したりして。
こうやって、自分の核の「願い」を確認して、自分の実際の人生と照らし合わせることは。
とても年齢を経ることの充足感と、自己肯定感に繋がると思う次第です。
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
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