Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

なんかヤなのは自分の内側

何をしたわけでもなく、ただ「わたし」であるというだけで嫌われることがあります。
逆に。
その人が何をしてきたわけでもないのに「なんかヤだ」と思うこともあるわけで。
お互いさまのよくあること。

それをそのままに、忘れてしまうことだって出来るけど。
同じようなタイプが同じようなタイミングで連続で現れる時があるもので。

それはサイン。

人は鏡と言うけれど。

なんかヤだ、はその相手に自分のヤなところを見てることが多い。
そのヤな相手そのものが、そのままあなたというわけではなくて。
なんかヤ、のその部分と似たところが自分の中にある。
なんかヤ、な相手の持ってるものが自分のヤなところをつついてくる。
深く突き詰めたりする必要はなくって。
もう第一印象でわかってること。
会った瞬間に出てる答えを、それを見たくないから即座に忘れるように見ないようにするように防衛しちゃうから。
なかなか気づけなかったりする。

例えばそれはコンプレックスだったりする。
わかりやすく言うならば姿形の造形の優劣。
くっきり言うと美醜。
美醜も優劣も、相対的であったり絶対的であったり個人差と文化で異なる。
絶対不動のものではない。

だけど、とても大事なものだと考える。
それがほとんど全てだと考える、人もいる。
それによって人生が変わるのだと。

その考えは良くも悪くもない。

ただ、そう考えているのだと、世界をそう捉えているのだと自覚すると。
また目の前に現れる人の質が変わってくる。
自分の反応も変わる。
むしろ、自分の反応が変わるから目の前の人を見る目が変わり、出会う人が変わったように思い、世界が変わるように思うのかもしれない。

なんかヤだな、と思う人が連続して現れる場合。
自分がその人にどんな反応をしてるのか素直に観察するといい。
第一印象でどう思ったのかを、ちゃんと見ればいい。

「こんな見た目だったら人生美味しいとこどりで生きてきて、自分のこととかバカにしてんだろうな」

なんて思ったこと。
ちゃんと捉えたらいい。

うらやましいんだな、ねたましいんだな。
そりゃそうだよな。
でも、まぁ、いっか。

そう思えたら、自分のフィルターが一枚めくれて、目の前の人がちゃんと見れるようになる。
美味しいとこどりでもなさそうだし、話してみたらちょっと気が合いそうかも?
ってなるかもしれない(ならないかもしれない)。

そうしたら、イヤな態度を取ってイヤな人間になることもないし。
俺ってイヤな人間だな、と後で落ち込んだりイラつくこともないし。
なんかヤだな、ってタイプの人に会うこともあんまりなくなる。

また、新たなタイプのなんかヤだな、な人が来ますけどね。
その時もまた似たような感じで見つめてみればいい。
その人じゃなくって、自分の内側の反応を。

とは言えそんな簡単にいかないのが人というものだけど。
知っておくだけで随分違うと思います。

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読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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