黒でも白でも黄色でもない
絵を描くとき、絵の具を混ぜながら、いつも思う。
たった2色の白と赤の混ぜるのでも、その配合も割合も2度と同じことは出来ない。
いまあるその色は二度と作れない。
例え、ものすごく精緻なスケールを使って生み出したとしても、小数点のさらに先までは量ることはできない。
同じピンクでも、全然違う。
虹色、珊瑚色、紅梅色、薄紅、桃色、灰桜、長春色、退紅………
日本にはおそろしいほどの数の色の名前がある。
それでも、そこからさえ、こぼれる色が無限にある。
人間だってそうで。
ADHDや発達障害、HSPからLGBTQ。
あるいは星座、血液型、国籍、肌の色、人種、出自。
それ以外でもおそろしいほどのカテゴリ分けがあり、区別があるけれど。
どれでもないし、どれでもある人達。
いろんなものがそれぞれに二度とない配合で混ざり合って、一人の人間を生み出している。
カテゴライズはとても便利な叡智なので。
自分を知り、他者を知り、人間そのものを知っていくのに、入口に使うのはとても有効に思う。
それでも、忘れてはいけないのは、あくまでもざっくりとした捉え方なのだということ。
人は、人それぞれなのだということ。
大まかに、赤なのか青なのか、白寄りなのか黒寄りなのか把握したら、そこから先の本当の色を見ていくのは、個別の細かく深い作業となる。
他者を見ていくことは、とても参考になる。
けれど、やっぱり基本は自分が何色なのか、何者なのか知ることがとても大切。
何者でもない、ただの自分である。
This is Me.
これがなんとなくでも把握できたら。
少しづつ気づいていくごとに、世界がどんどん広がり、他者に寛容になっていく。
人は鏡、世界も鏡。
自分を把握し受容することは、他者や世界に対しても同じにはね返ってくる。
赤くも青くもない、そのまんまの自分を受け入れられたら。
白でもない黄色でもない目の前の人を、そのまんま受け入れられるようになる。
ああ、そういう人なんだな、って。
相手は黒なのに、なんで緑にならないんだ!と理不尽な期待を向けたりとか。
自分はピンクに生まれたかったのに、なんでオレンジなんだ!と自己否定と葛藤を繰り返したりとか。
そんなしんどさから、少しづつ解放されていく。
そんな急には無理だし。
お釈迦様でもないので、自分にも他人にも無限に寛容になんてなれないし。
いつだって、いろんな人がいるこの世の中で、ぷんぷん怒ったりイラついたりするけれど。
ちょっとづつ、少しづつ。
いろんな人がいる、ということに理解を深めていけたら。
三歩進んで二歩下がりながらでも、世界はやさしくなっていくように思う。
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
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