Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

「サピエンス全史」を読みました4 - 炎のような憎しみと冷淡な無関心

世界には様々な民族がいますが、それらの民が使うそれぞれの言語で、自分たちの「族」を示す言葉は、たいてい「人」なのだと書かれています。
その考えは同時に、自分たち以外は「人ではない」にもつながります。

中国には「天よりの天命を受けてすべてを統一する」という中華思想(中国という名前通りに真ん中の国、あるいは真ん中に咲く華)があります。
世界がてんでばらばらにたくさんの民族で分裂しているのは、良くない状態。
ですから、三国志時代や春夏秋冬時代なのは分裂期なので、暗黒時代とされているのです(群雄割拠で物語的に面白いので数多くの書物になっていますけど)。

また、大きな帝国が版図を広げるに従って小さな民族が飲み込まれていくという図は、歴史の必然かのように勉強した記憶がありますが、ローマ帝国は案外と完全従属ではなく、民族性の保持を認めていたとのこと。
宗教などもその民族の持つものを改宗させたりはしなかったのだそう。
つまり多様性を認めていたからこそ、人類の歴史上一番大きな帝国となったのかもしれないと。
多様性を認めなかったのはキリスト教です。
十字軍による武力、多くの教会の不況によって改宗をさせて統治をしようとした。
その結果、たくさんの争いが今に続くようにばらまかれている。

ここまで読んでいると、結局は前回書いた、あらゆる差別、個人主義全体主義、ミクロで言うところの親という問題も。
他者、他民族の多様性を認められないところに端を発しているように思うのです。
これは果たしてサピエンスの疾患なのでしょうか?
ならば個人主義という思想は人類のより良い進化なのでしょうか?

キリスト教やナチは炎のような憎しみから大量虐殺を行った

けれど。
資本主義は、強欲と合体した冷淡な無関心から膨大な数の人間を死に至らしめた。
奴隷貿易はアフリカ人への憎しみが原因ではなく、それらが「人ではない」という無関心が原因なのだとハラリ氏は書きます。

インドの一定数の男性は女性を「人」だと思っていません。家畜だと思っています。だから家の共有財産であり、生殺与奪の権利を持っているのはその家の男なのです。
これと同じことが、様々な場所で起こっています。
そして家畜やペットもまた「生命」だと思われていない。
その生命の生がしあわせなものかどうかについて、一部の人間(大多数かもしれません)は無関心です。

これは資本主義が起こしたものでしょうか。
はたまた、農耕が広まったところから起こり始めたものなのでしょうか。

農耕によって「食べ物を備蓄」するという考えが人間に芽生えました。未来について考えるようになりました。そして人間の脳は「数」を認識するようになって飛躍的に変化したのだと言います。
資本主義は、それらのなれの果てのように思えます。
同じ人間に対して、怒りでも憎しみでもない、冷淡な無関心を向けるようになるまで、強欲によって脳を進化させたのでしょうか。

現代科学は「わたしたちは何も知らない」ということを前提にして進んできました。未知を求めて世界を制するために。
古代、ローマ帝国までは、我々は既にすべてを理解しているのだ、という認識を前提に版図を広げていきました。その理解を世界に共有させて、富と権力を得るために。

近代の人間は、生活はより良くなっていくのだということを前提にことを進めています。
資本主義における、お金を借りるという行為。融資や投資、ローンも同じ。
それは「未来には今持っているよりも多くのお金が入ってくる」という信頼という虚構を共有して行われます。
今現在の世界中を巡る巨額のお金の流れは、こういった虚構から成り立っています。
けど、虚構は虚構。
人間の脳内にだけあるもの。
それは、いつ急に無くなってもおかしくはない。

だって、無いんだもの。

続きます。

読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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