三位一体、心と身体と魂ってなんぞや3
心と魂と体と。
人間を構成するものは三つあるらしい。
そんな話の続き。
魂という核が、何故だかわからないけど、何かしらの意図をもって発生して。
そこに吸い寄せられるように、必要だとされるものが寄り集まって、身体を成す。
そこに自我が形成され、身体性とあいまって欲が生まれ、生きていく中で感情が排出されていく、それが心。
なんとなく、そんな風に出来ているのではないかと感じている。
そんな中で、案外と人が持つ固有の「性格」と言うものは、心ではなく魂の形を現している。
子どもを見ているとわかるけれど、生まれたその瞬間から個性がある。乳離をした時から、食べ物の好みがちゃんとある。そんなものを学習しようがない0歳児なのに。
赤ちゃんであっても、寝付きの悪い子、よく泣く子、表情が豊かな子、大人みたいな表情をする子。
何の経験もしていないのに、個性がある。
生まれ持ったもの。
それが、魂の形。
やがて、成長するにつれて親の常識、社会の常識、生き抜くための知恵や技術、スムーズに生きるための外交力、あるいは自分を守るための内向性、無意識に埋め込まれた思想。
そんな異物が、重荷を背負わされたり、縛られたり、足かせになったり、どんどん自分に入り込んでくる。
本来の自分なのか、生きていくために身につけた考え方なのか、感情や欲に飲み込まれ、なにも見えなくなって濁流に翻弄されて。
それらによって歪まされたり潰されたりもするし、一方で進化したり成長させられたりもする。
良いことも悪いこともある経験によって、魂が磨かれていく。
そうして、ある一定のところまでくると、どんどん自分にとっていらないものがわかるようになる。
気づき、がもたらされるようになる。
最初のきっかけは、病気だったり、愛する人との別離だったり、自分の夢への挫折かもしれない。
あれ?これって、社会的に必要なだけで、自分にとっては必要ではないな?とか。
この習慣は、単に親の常識なだけで、社会にとっても自分にとっても良いことではないな?とか。
なんとなく普通だと思ってやってたけど、よくよく考えると別にやりたくないな?とか。
そんな事に次々と気づきだす。
そして、捨てていく、呪縛から開放されていく。
その先に残るのが、元々の魂の形。
それが、経験によってちょっとばかし磨かれたもの。
大いなる観点からみたらちょっとばかし、だけれど、人間の一生で言うなら、なかなかよーがんばったで?と言っても良いくらいには、磨かれた、美しくなったもの。
それを磨くため。
その形に沿った、よりよい磨き作業が出来るように、身体が作られて。心が作られて。
そんな風に人間は出来ているんじゃないかと、最近思う。
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
・小説発売中
Eri Koo(エリ・クゥ)
【Website】
https://erikoo.themedia.jp/
【LINEでBlog更新を通知します♪】
※登録者情報はわたしに知らされませんので、 お気軽にどうぞ!
お問い合わせはこちらのフォームからどうぞ
[eri koo] - CONTACT