Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

なんでもかんでもお金に換算するの楽しいですか?

これは、もしかしたら大阪人の特性なのかもしれないけれど。
何かにつけて。

「それって儲かりまっか?」
「それをどうやってお金にするん?」
「いくらかかるん?」
「それって仕事として成り立つん?」

という話になるのが、ほとほとつまらないなと思うようになった。
このことを何人かと話したら「例えば東京だと、そこまでお金の話にならない」と口を揃えて言っていた。
とはいえ、とても少ないデータなのでそれが正解と言いたいわけじゃない。

その考え、ほんまつまらんなぁ……と思うのだ。

もちろん、お金は大事。
ご飯食べて、雨風しのげるだけじゃなく空調管理もある家に住みたいし、気に入った服を身につけてウキウキもしていたい。
本も映画も、遊びに行くのも、美味しいお店を楽しむのも、旅に出るのにもお金がいる。
そういう世界に住んでいる。
なんらかのカタチで、収入がないと生活が出来ない。
その経路が不労所得であろうと、自営業であろうと、会社員であろうと、国の税金であろうと、お金は必要。

でも、そのお金の大事さと、なにもかもをそれにくっつけて考えるのは、なんだか窮屈で不自由で、ものすごく「枠の中」を感じさせるように思うのです。

(ここでは、お金を儲けること増やすことを、人生の幸福とする人は除いた話をします)

ある人が陶芸を習い始めた。
とても楽しそう。
「上手になったら売れるかもね」
「副業にできるかもね」
こういう言葉によって、なんだかその行為がとても矮小化されてしまう。
楽しさ、喜び、華やかさ、なんかハッピーで明るい感じ、が飛んでいってしまう。
なにかの行為を、お金という単位で計ることが、とても古臭く小さい考えだなと感じてしまう。
その人は、土の手触りを、モノが出来ていく過程を、教室に通って同じ趣味の人と話したり、あれこれ工夫したり、他の人の作品を見たり、そんな色々を楽しんでる。
それでいいじゃん。
仕事につなげなくていいじゃん(つなげてもいいじゃん)。

その人の心が充足している。

これ以上の対価が必要だろうか?

某漫画が日本を席巻して。
ある人が
「なんでそんな短い期間で連載を終了させてしまったんだろう?こんな大ブームになったら描けば描くほど儲かるのに。だらだらでも続けたら良いのに。ウハウハでしょ?」
と言っていた。
それはもう、ごく当たり前の、ありふれたコメント。ありふれた考え方。
そんな風に考えるのは、ある意味仕方がない。
けど。
少しでもモノ創りをしたことがある人、想像力がある人ならわかる。
漫画を描くという行為がどんなに辛くしんどいかを。
そして、それを上回るくらいの喜びが、自分に嘘がない作品・物語を読者に提供し、楽しんでもらうこと。
お金を儲けるためだけに、漫画なんて非効率でしんどく、実入りが悪すぎる職業を選ぶわけがない。漫画家で本当にお金持ちと言えるような収入を得ている人は、ごくごく僅かだ。みんが知ってるような漫画やアニメ化したような作品を描いた漫画家だって、職場家賃や生活費、たくさんのアシスタント代を払ったら、事務職の初任給にも満たなかったりする。
そんな思いまでして何で描いてるかと言うと。
モノ創りをしている全ての人に言えることだけど、それはもう、モノ創りそのものが、やりたいこと、だから。
大げさに言うなら、魂の充足を得られるから。
やらずには終えないから。

そこを、儲かるからと作品をだらだらと伸ばすことなんて、出来やしないのだ。
そんなことをしたら魂が死んでしまう。
もちろん、創り手と状況にもよる。読者の熱望で連載を伸ばしてきた作品だってたくさんある。けれどそれは、それが出来る作者と編集の人の仕事の業であって、全員に出来ることじゃないし、作品の性質にもよる。

アートやモノ創り、創作をお金と結びつけるな、という高尚なことを言うつもりもない。それをきちんとメイクマネーしている人に対しては純粋にすごいと尊敬してる。そういう人がいるから、創る人は生活ができ、作品は求める人の手に届く。
ただ、その行為や作品の価値を、値段や売れるかどうか、仕事に出来るかで判断するのはもう、飽きたなぁと。
もう、次のステップに移って良くないですか?と。

子どもが、目の前にある何かで、ただ遊ぶ。
砂があれば砂で、葉っぱで、落ちている木の棒で。
なにもなければ、ただただ走り回って、ジャンプして、寝そべってゴロゴロして。
絵を描いて、積み木を積んで、歌を歌って。

そんな風に、ただ目の前の興味があること、楽しいことを存分に楽しむこと。
それがいいんじゃん、って思う。

大人になってからのそれは、経験と理性と良識が重なり。
人によっては技術もあって。
相当に高度な楽しみ方が出来るはず。
逆説的になるけど、お金もある(笑)

だからこそ、子どもの頃の「遊ぶ」感覚を再び取り戻した人は、さらに先へ、さらにまっしぐらに楽しめる。

そのことを、つまらないことにしてしまわないで欲しいのだ。
儲かりまっか、ソレお金になりまっか、という言葉で。

これは、やりたいことだけ、楽しいことだけしよう、って話じゃない。
そこは大人ですから、やりたくないこともやらんとあかん。
お金も稼がないと生きてけないし、日々の雑多な用事も多分にある。
先に書いたように、モノ創りだけでなく、好きなことをするのも、苦痛も苦悩も苦労もワンセットだ。
けど、混同してはいけない。
そのために人は生きてるんじゃない。
魂の充足のために、楽しいことや喜びを感じるために生きてる。

こういう、世にありふれた、お金や数値で換算するのを「数字教」と呼ぶ人がいる。
新しい宗教だ。
お金、株価、投資、売上、成績、動画の再生回数、イイネ数、フォロワー数、あらゆる数字で価値を計る宗教。
資本主義が始まったと同時に発生した、ほんの数百年の新興宗教
でも、まるでそれが常識的な価値観のように広がっている。

大阪人の商売っ気も、儲かりまっかボチボチでんな的な茶目っ気も、嫌いじゃない。
けど、この大阪の経済力のなさ。
主要企業がどんどん大阪を離れていき、アーティストはライブや展示を大阪でしなくなり、地盤沈下していくのは。
経済のことなどとんとわからないけど、それだけの価値観では、やっぱり広がらないからじゃないかとさえ、思ってしまう。

人生は限りあるので、おもしろいな、明るいな、広いな、という考えになるべく長く接していたいし、そっちの方向に行きたい。

けどまぁ、儲かりまっかと話すタイプの人も。
よくよく話すと、あんまり儲からないことにハマってたり心血注いでたりすることがわかったりするので、人間ってつくづく複雑でおもしろいんですけどね。

そんなことを思う、下弦の月の日です。

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読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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