かみごと(神事)にたずさわるということ1 - 透明の資質
これは特定の宗教のお話ではなく、あくまで独自の有り様の話。
かみごと(神事)にたずさわる人には資質があって。
それはどうにも後天的ではなく、最初から備わっているらしい。
しかしながら大きな開花のタイミングは人によって違っていて、物心着いた頃の最初の最初からと、封じ込められたり呪縛が強くてそれが解ける大人になってから、というのがあるようだ。
目に見えない世界にもいろんな階層があるけれど、ここでは人の霊以外のお話(わたしには全然わからないので)。
それには「透明」が求められる。
「空(くぅ)」と言っても良いけれど、ちょっと仏教的な意味合いが強くなるので、今回は透明という言葉を使っていきたい。
人間誰しもどこか濁っている。
清廉潔白な人などそういない。
目に見えない世界や、かみや精霊や妖精を感じれるからといって、その人の人格が素晴らしいというものでは決して、ない。
ただ一点、自分というものの一部を透明にすることが出来る、という能力があるように思う。
その透明にした部分に、かみが宿る。
もしくは、そこを通り抜けてくれる。
かみ、とは、人間とは違う在り方の存在で、違うタイプのエネルギーとも言える。
だから、全然違うパワーを持っていたり、人間には見えない何かを見せてくれたり教えてくれたり、時にはその力を与えてくれたりもする。
わかりやすく言うならば、未来を見せてくれたり運を強めてくれたり、悪しきものを祓ってくれたり、という実益にもなったりする。
けれどそれは、雨が天から降るように。
あちらから勝手に降り注ぐのをただ感謝して受け取るのみで。
決して、自分の欲から求めてはいけない。
欲をかいた途端、それは全然違うエネルギーとなってしまう。
日照りが続き、餓死者が出て、どうか神さま、みながこれ以上死なないよう、苦しまないように雨をお降らしください、と祈るのはまだいい。
けれど、降った雨水を自分だけのものにして、人に売るために祈願すると、とてもよろしくない方向に人生も魂もゆがんでいくし、濁る。
そのゆがみも濁りも、何度転生して善行をしようともなかなか解消されないくらい、取り返すことが難しいものだ。
自分を透明にするとは、なるべくその欲をかかないようにすること。
人間だから、小狡い考えだったり、自分だけ得をしようという考えが浮かぶことだってある。
けれど、それを行動に移してしまわないようにする。
そんな自分をてへっ☆くらいで許しながら、なるべく人としてマシな道を歩もうとする。
濁らないよう、歪まないよう。
ほんとに、亀の歩みぐらいのなるべく、だ。
それは、いつでも風通しを良くしておくことにもつながる。
つまり、かみが宿りやすく、通りやすくする道を、自分の中に作っておくことになる。
欲が過剰になると、道が詰まる。
まるで血管の中に血栓が出来て脳溢血や心筋梗塞を起こしてしまうかのように、自分の中が滞ってしまう。
それで。
そんな風に、日常でなるべく欲をかかないようにしながら。
それでもどうしても生じる人間らしい欲を抱えながら。
目を閉じて、最適な深呼吸をして、瞑想状態に入り、自分の中の一部を透明にする。
調子の良い時、環境が揃った時は、薄皮一枚分以外は自分というものがなくなる。
すると、かみがやってくる。
自分の状態に呼応して、あるいは気の合う存在がやってくる。
続きます。
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
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