もったいない存在
昔々、ある女の子が、目の前のイケメンがゲイだと知って
「えーーー!もったいない!!」
と言った。
もったいない……?
もったいないとは……?
ゲイとはもったいない存在なのだろうか。
頭の中が「?」でいっぱいになるくらい発言の意味がわからなかったので、質問した。
「もったいないってどういうこと?」
「えーーーだって、せっかくイケメンなのにさぁ、もったいないじゃん」
「えっと、何に対してもったいないの?」
「だって女の子を好きになれないんでしょ?もったいないじゃん」
「ごめん、わからん。誰に対してもったいない?」
「えぇ……うーん?例えばわたし……?好きになってもらえる可能性ゼロってことでしょ?」
「あ、なるほどね」
ここでようやく会話が成立した。
イケメンだから好きになっちゃうかもしれない、あわよくば振り向いて欲しい。けどゲイだとその可能性がゼロだから。
その子にとって、もしくは女の子全員にとって、もったいない、という話。
なんとなく否定的な言葉のように感じたけど、突き詰めればそれは、ただのカワイイとも言える発言だった。
ある時から、多様なセクシャリティについて否定的発言をする人の本心が知りたくなった。
自分自身が、たまに男だったか女だったかわからなくなる時があるからかもしれない。
だって他人のセクシャリティなんて、どうだって良い筈。
もちろんパートナーが変な性癖で迷惑を被るならば話は違うけど、それ以外、なにか問題がありますか?と。
なのに、なぜ否定したり差別するのだろう?
自分の娘や息子がLGBTQで、自分の血のつながった孫が見れないことがさみしい・悲しいなら、まだちょっとは意味がわかる。
けど、それでも、自分の孫が見たいというエゴより、自分の子どもが自由にしあわせに生きることを尊重しようよ?と思う。
なぜ、それが出来ないのだろうか。
なぜ、この世に差別があるのだろう?まで話を広げるつもりはない。
けど、結局この問いはそこにつながる。
差別の根源は不安と恐怖だと思っている。
わけのわからないものは誰だって怖い。
わたしも、セクシャリティで差別する人たちのことがちょっと怖いのかもしれない。それで、怖いからと逃げたら余計に怖いので、向き合ってちゃんと、なぜそう思うのかが知りたいのだ。
それは、長い長い時間をかけた歴史の中の、社会的規範や根付いだ宗教観が土台になっているので、差別する本人自身、無自覚だったりする。
「ただ、生理的に受け付けないから」
と、差別的発言をする内の多くの人が答える。
それは、そういうものが刷り込まれていて、無意識化にまで入り込んでいるからで、決して動物的本能である生理的反応とは違うように感じている。
だから、不安と恐怖を克服するのは「理解」だ。
それで全てが解決できるわけじゃないけど、その土台にはなる。
LGBTQを全部理解する必要なんてない。それこそ多種多様な人たちの心情を、全部わかることなんて出来ない。
ただ、そういう人たちが、自分に害を加えることもなく、利益を損ねるでもない、ただの同じ人間なのだと知ることが出来たら、随分と違ってくるように思う。
けれど「無理」と言う人たちは、話すことすらしない。
なんなら避けて通る。
怖いから。
それならそれで、完全に興味がなかったのならまだいいのだけど、案外絡んできたりする。
それもこれも怖いからなのだと感じることが多い。
某世界的に有名なミュージシャンが、随分と年齢を重ねてからゲイだったと告白した時
「僕はずっとゲイを蔑んでいたし、嫌いだった。けどそれは、自分の中の気づきたくない面を見せられていたからだと、やっと気づいたんだ」
とインタビューで答えていた。
だからって、ゲイを毛嫌いする男は全員ゲイなのでは?
と言いたいわけではない。そんなこたぁない。
けど、無関心ならともかく、積極的に嫌ったりバカにする人は、何らかの自分の中の見たくないものをそこに見ているから、というのはあると思う。
ゲイは決してもったいない存在じゃない。
LGBTQもヘテロも、全ての存在はもったいなくない。
なんとなく差別的な気持ちがあったとしたなら、なんでそう思うのだろう?と自分に問うてみると良いかもしれない。
案外、その事を通して、知らなかった自分の奥底が見えるかもしれない。
怖いかもしれないけど、そこと立ち向かう勇気は、人をさらにグレードアップさせるように思う。
読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪
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