Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

君子危うきに近寄らず

世の中、どうしようもない人ってやっぱりいると思うんです。

性善説を信じてはいるのです。
そして、どうしようもない人はどうしようもない環境で、どうしようもない感じに育って、どうしようもない感じで生きてるって思うんです。
もしくは本当に疾患があったりします(感情表現が上手く出来ず暴力になるとか)。
でも、どうしようもない環境だとそれに気づいてくれる人もいない。
そんな風に、バックボーンや理由が必ずあると思うんです。

上とか下じゃないです。
白でも黒でも、善でも悪でもなくて。
同じ人間で、平等で対等で、ただ、住んでる場所の気温が違う感じ。
暑い国がダメとか寒い国が素晴らしいとかないじゃないですか。
それと同じで、ただ「違う」んですよ。温度とか、もってる色とか、そういうもの。

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で、そういうどうしようもない人。
絶対的価値じゃなくって、あくまでも個人的で相対的に「苦手な人」。

(とは言え世の中にはほぼ絶対的指標で「邪悪な人」がいるとも思うけど)

そういう人に、どうやって対応しますか?
って聞かれたことがあるんです。

「近づかない」

って、答えました。
もうなんか第一印象というよりもっと早い段階で「やべぇ」「苦手」「ダメだこりゃ」という「感じ」が先に立って、仲良くしようという行動が起こらないんです。
顔はスンっと無表情になり、会話を盛り上げよう、つなげようとしない、最低限の挨拶や社交辞令で終わる(一応、大人としてのマナーは守ってる“つもり”)。
もう勝手に、身体が自動的にそうしちゃってるというか、そうしかできない。

バックボーンや理由があるだろうことは想像しつつ、でもそれは「わたしの問題」ではないので、関係がないのです。
ちょっと偽善者的に付け足すなら「あなたのしあわせは祈ります、でも、さようなら」なのです。

これはこれでどうなのかと思ったこともありました。
人というのは多面的で深いものだから、もう少し知ると好きになるかもよ?
第一印象で切り捨ててはもったいないのでは?
社交が広がらないのでは?
なんて。
でも、そこから一周も二周も三周も回って、やっぱりわたしはコレでいいや。というか、そうしかできんのだ、となりました。
社交が広い人は良い意味で雑で鈍感で、だからこそタフで、たくさんの人とコミュニケーションが取れる。
わたしみたいに敏感で繊細でひとり時間が大事な性質は、あんまり人間関係が広いと心も時間も消耗してしまうのです。
それでも、45歳になっても、じわじわっと地味な感じで仲のいい人は増えていきます。それくらいのペースで丁度いいのです。

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ここ最近、世界三大宗教の開祖や聖人の本を読んだり聞いたりしてるのですが、その中でそういう「どうしようもない人」について、どうしたら良いかって記述が共通してあるんですけど、ブッダやキリストがどう答えたと思います?

「邪悪なものに対しては『ただ、避ける』」

そう、いわゆる「君子危うきに近寄らず」なんです。

おぉ、わたし、合ってたじゃん。

ってことが言いたいわけじゃなくて。

この話は、どうしても密接に仕事しないといけない人とか、社交必須のママ友系とか、学校の中とか、近所の人とか、家族とか恋人、友人などの人間関係の話となると、ちょっとだけややこしくなります。
仕事や学業や育児を一緒にする「共通目的」の環境にある関係や、まず本当は「好きな人」とちょっと拗れたとか愛憎入り混じったとか、そういう親しい関係は「人は鏡」現象(後述)と絡んでしまうので。
けど。
それでも、そんな濃い関係の中でもやっぱり同じく「君子危うきに近寄らず」がベースなんですよね。
この場合、相手が「邪悪」とか「どうしようもない人」って意味ではないですよ。
親しい人でも適度な距離感という意味で「近寄らず」だと思うんです。
そして、時と場合によってはその関係ですら「しあわせを祈りつつ、さようなら」も成されることもある。

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「邪悪なものに対しては、ただ、避ける」も「君子危うきに近寄らず」も、伝統的な地恵であり、「それらを恐れたり、戦ったりしないのが一番ですよ」と言っている。

わたしもそんな人に深く関わったり、関係が切れなかったりしたことがたくさんたくさんありました。
でもそういう人って問題を抱えてるんです。
そしてわたしもまた何か問題を抱えてるんです。
その人に対して「何を感じるか」「自分の問題が何か」に気づいて腑に落ちたら、そしてその問題を手放せたら、スルリとその関係が勝手に切れたり、その人が問題ない人に変化したりするのです。
嫉妬、欲、思い込み、頑なさ、プライド、エゴ……なにかしらを刺激してくる相手。
大事なのは相手の問題を解決してあげることでも、どうしようもない人を変えることでもなく、相手を見ることで浮かび上がる「自分の問題」に気づくこと。
問題があるからって、あなたが素晴らしくない人間ってわけじゃない。どんな人だって何かしらの問題だらけです、人間だもの(みつを)。
知らない間に自分の中に作られてしまった、スムーズな流れを止めるひっかかりのような「問題」に気づくために、相手が目の前に現れる。
それが「人は鏡」現象。

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スーパーやコンビニ、駅なんかで出くわす、何故かぶつかってくる「やべぇ」人や、最初から最後まで「なんかイラついてる人」「なんか怒ってる人」。
ちょっとすれ違ったりする一過性のヤバい人。
そんな「どうしようもない人」もまた、人は鏡。
って、ヤですよね。
はぁ?アレがわたし?ってマジ勘弁。冗談じゃないぜ。
ええ、ええ。
そらイヤでしょう。もちろん、そうじゃないんです。
あくまで、その人と接して何を感じるか(思うか、考えるか、ではない)に気づくための鏡。
ショップでも銀行でも役所でも、対応の悪い人ってイラつきますよね。
でもそのイラつきは「自分は良き対応を取られるべき人間」だと思ってたり「いつだって笑顔で丁寧で効率的な対応をすべき」と思ってたりする、自分の中の常識や正義。それを相手にも求めているのだという傲慢さ、自己中心性、相手を支配したり過度に期待する姿勢、が反映した姿だったりします。

そのことに気づけばいいだけの話。
そんな自分を責める必要もない。
あ、と気づいたら。
それで、終了。
そこからは、そこまでひどい対応の人に会うことも減るんですよね。不思議と。

なんでそう思ってたかとか、思考で深堀りもしなくていい(してもいいけど思考のジャングルに陥らない程度に)。
感じた、気づいた、終わり。
さくっと。
シンプルに。
短時間で。

近寄らない、戦わない、距離を置く。
『ただ、避ける』

物理的なこともそうですが、感情や思考もまた、短く手早く終わらせてしまう。
だって「どうしようもない人」に使ってる時間、あります?
あなたの大切な人生の時間ですよ。

あえてそういう「邪悪」や「どうしようもない人」に絡んでいく趣味の人はお好きにどうぞですが。

COVID-19的な意味でも、無駄に近寄らない、避ける、ってワードが効いてきますね。

伝統的な地恵というのは、やっぱり役に立ちますなぁと思う昨今です。

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LOVE LETTER  

本日、新月
今日も今日とて月は廻り、また新しく満ち始める。
5月の天気予報ほとんど雨っぽいし、早い梅雨が来そう。
雨の日は草花が生き生き、艶つや。
バラもあじさいも、雨粒と一緒なのがなんとも色っぽくて大好きなんです。
ポリアンナじゃないけど、しあわせ探しはいつでも自分がごきげんさんでいられる、身につけて損はない高等スキルだと思う、新月の日です。

読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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