Eri Koo Blog

元気があればなんでもできる学習帳

コンプレックス・ジャーニー

この世にコンプレックスがない人なんているのだろうか。
きっと多分、いるにはいるだろう。
でもレアケースだろう。
誰だって多少なりともコンプレックスを抱えてる。

世にも美しい女優さんがいて。
若い時は美少女の代名詞として使われるくらいだったし、今も第一線で舞台に映画に大活躍。家庭も持っていて。
その人が、ホクロをひとつ取ったと話題になったらしい。
詳しく知らないし真偽も知らない。
架空のたとえ話と思ってもらってもいい。
非の打ち所がないような輝くような容姿を持ち、もちろん演技力もあってこそだけど成功をおさめているとされるそんな人でも。中年期になって、ホクロをひとつ取りたくなるのだな、と。
コンプレックスについて考えた。

そもそもコンプレックスって、日本だと劣等感だとか短所だとかマイナスポイントなイメージがある。けど、コンプレックスとは本来、Complex─複雑さ、複合体っていう意味。混乱している状態、とも言えるらしい。
この説明を聞いて、腑に落ちた。
例えば、妙な位置にあるホクロについて。美しくないと自分的には短所だと思ったり。あるいは不幸なことに他人から揶揄されて(大抵は幼少期~思春期にいたる残酷な季節に)、自分までもが短所だとみなすようになったり。
そのことで、その位置にホクロがない人をひがむようになったり、人に見られてるのではないか、変だと思われているのではないか、と気に病んだりようになる。
そう考えると。たしかにコンプレックスとは複雑にこんがらがったいろんな感情の複合体だ。
例えをホクロにしたのでピンときにくいかもだけど、あんまり具体的にわかりやすくしても特定の人をイヤな気持ちにさせるかもしれないのでそうしました。なのでホクロを自分のコンプレックス部分に当てはめてもらえるといいかもしれない。

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コンプレックスには他人から言われて短所だと思わされてしまう外的なものと、自分の理想像からのズレから短所だと思っている内的なものがある。
それでもまぁいずれにせよ、自分の中で複合的に複雑化していることには変わりはない。
さらにコンプレックスは人によって、性格や容姿や得意なこと不得意なこと、心理的にも外面的にも能力にも多岐にわたる。やっぱり複合体だ。
まるで永遠に解けないパズルなんじゃないかと思う。

さらにあまりよろしくないことに、コンプレックスはコンプレックスを呼ぶ。複合体はさらなる複雑化を呼んでしまう。なぜなら、コンプレックスは世の中や人や物を見る時のフィルターに、ものごとを考える時のベースに深く影響してくるからだ。
相手になんの非がなくても、勝手に嫌う人、怒り心頭してる人。そういう人はコンプレックスをなんらかの形で相手に見て、自分の内で怒っているのである。本当のところは自分に。理想的ではない自分に、そうでない自分の不甲斐なさに。
そうなってくるとつらい。生きてて楽しくない。しあわせな状態から遠ざかる。
そのパズルは解いた方がベターだよね、と思う。

そんなことを思うのは、もちろん自分自身がコンプレックスの塊で。自分を変えたくて変えれなくて、理想的な人物に生まれ変わりたいのにそうはできなくて、葛藤をくりかえしてきたからだ。しんどい。しんどかった。
けれど、そのパズルはいつの間にか解けていた。
もっと正確に言うなら、コンプレックスがなくなったわけではない。今だってあげればきりがないほど無限にある。でも、どうでもよくなったのだ。
歳を経たせいだとしか言いようがないが、もういい加減にわかったのだ。自分は自分以外の何者にもなれないし、心も体も取り替えることはできない(いま現在のテクノロジーでは)。
仕方がない。
明るく笑える方向であきらめたのだ。
不惑にして、ようやく自分に諦念を得たわけだ。
そんなことに思い悩んでるヒマがあったら、やりたいことがわんさか山ほどある。どうしようもないことを考えてるくらいなら、その時間で美味しいカレーを食べに行きたいし、映画の一本も観たいのだ。人生はいそがしい。

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それで。
とても逆説的になるのだけど。
先に話した女優さんのように、わたしもまたつい最近、身体的なコンプレックスを解消した。
ずっとずっと気になってた、誰に言われたからでもない自分自身の気に食わないところを取り除いた。
誰に言ったところで「そんなことを気にしてたの???」という言葉が返ってくるようなコンプレックス。
けれど、自分の美意識としてイヤだったのだ。毎日毎日イヤだったのだ。
それならさっさと解消すれば良かったのだけど、なんせコンプレックスって複雑な複合体だから、若いときにはその勇気がなかったし「それもまた自分だし受け入れなきゃ」と余計にことを複雑化していたし、それを取り除く良き手段にも出会えなかった。
でも、歳を経てどうでもよくなったことで。
イヤなことを受け入れる、のではなく。逆に、イヤなことはサクッと取り除けば良くね?と考えがシンプルになって。
おりしも新型コロナによって人との交流や活動も少なくなり、運良く良き手段にも出会えた。完全にタイミングが来てる。今じゃん。
さくっと取り除いた。
よかった。
毎日毎日「イヤ」だったものが、毎日毎日「ええやん」に変わった。
最高だ。
一緒にするのはおこがましいが、件の女優さんもきっとそうに違いない。
そのホクロが逆に魅力的だったのにとか、そんなこと気にする必要ないでしょ?なんて山ほど言われたことだろう。けれど、本人は毎日鏡を見ては、やっぱ無い方がええわ~ってなってるに違いない。

どうでもよくなること。
気にしないこと。
忘れること。
イヤならさくっと対処しちゃうこと。

ここらへんがコンプレックス解消の鍵な気がする。

ちょっとヤだなって思ったら自分の中で熟成させないことが、複雑化して複合体にさせない地恵のようだ。
一番ややこしい時期、20代くらいまでの時期にその地恵を得れればいいのだが、まぁ人生はそう簡単にはいかない。
人と比べることで自分を形成していく時期でもあるし、外見や要望や人からの人気について過剰に意識する年齢でもあるから(おそらく繁殖期だからだろうけど)。

だって若いときは思ってた。
そんな風に大人から言われても。

だって、どうでもよくないし。
だって、気になるし。
だって、忘れられないし。
どう対処していいかがわかんないんだよ!(お金も知恵もないんだ)

って。

でもその葛藤こそが、いまの自分を形成しているので。
やっぱり「かわいい子には旅をさせよ」だし「獅子は子を谷底へ突き落とす」は確かにと思うところがある。
コンプレックスという複雑化した複合体を抱えながら、あるいはその中を泳ぎながら長らく旅をして。
曇ったフィルターで世の中を見ながら、そしてそんな自分に向き合いながらなんとか生き抜けば。
それらはなくなるわけではないけれど。
いつの日か、気にならない程度に共存していけるようになるのかもしれない。

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LOVE LETTER  

本日は満月。
久しく会えてなかった人に会えて、じんわりしちゃうくらいうれしかったり。
新しく出会った人とやさしい交流ができて、新鮮なときめきを感じたり。
少しづづまた、生活に動きが出てきました。
正直、あまりたくさんの人と会わずに自分を濃くしていく静かな時期は至福でもあったのですが、人と会うと心も身体も動いていくので。人間にとって大切なことなんだなと。あらためて思う最近です。

読んでいただきありがとうございます☆祝福アレ♪

 

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